天橋立を渡る
iー愛ロマンチカ
   

2000.5.2 所用でこの辺りを通ったとき、妙な噂を聞いてしまった。
傘松公園に自分の股を覗く台があるという。
あの彼女の麗しい股を覗くならいざ知らず、
わざわざ台にあがってまでして自分の股を覗くなんてバカみたい、と思った。
それでも念のためと思い、
傘松公園に行き見よう見まねで台の上から自分の股を覗いたら、
どうもへんてこりんな光景が現われた。
股の間に、長い道が延々と続いているではないか!
これが天橋立といい、天まで続いている道だという。
まだ誰も渡ったことのない道であれば、一度行って見たいと思っていた。
2001.5.6  に天橋立を渡るために訪れた。
両日とも曇り空で景色が映えず、これは私の日ごろの行いが悪いせいです。
おかげで全面これセピア色のクラッシク画面となりました。お楽しみでください。


地名の由来:延長約3.6kmの橋立は、股の間からのぞくと天地が逆転し、まさに天に架かる橋のように見えることから、「天橋立」という名がついた。遠い昔より「丹後の天橋立」として全国的に知れ渡っていた。
京都府宮津市にあり、安芸の宮島、陸奥の松島とならぶ日本三景の1つ。

天橋立の範囲:文殊堂境内を含む地域と対岸にある傘松公園を含めた地域迄を、天橋立と呼んでいる。
なお天橋立の中央には、府道が走っている。
   

2000.5.2 傘松公園の股覗き台に立って
直立不動で眺めれば写真左
股から覗けば写真右

少し角度を変え股覗きをすると、橋立は天に登る構図になったはずで残念。
写真右下コーナーの黒い影は何か、ということでしょう。
私の股です。足が短いのでどうしてもカメラに入ってしまい、失礼しました
       
翌年の2001.5.6 いよいよ天橋立を渡ることを決心して、
北近畿タンゴ鉄道特急電車に乗り天橋立駅に到着。
いかにも観光駅というように外観が整備された、シャレた感じの
駅舎であった。
高い丸い輪は、天橋立のシンボルの「
智恵の輪灯籠」を模ったもので、実物は文殊堂海岸にある。
智恵の輪灯籠の輪を3回くぐれば、文殊の智恵を授かるという言い伝えがある。 
    
天橋立の入口付近にある、赤いボンボリに飾られた文殊堂
今日は楽しいお祭りだったんですね。
文殊堂は、正式名を智恩寺といい808年
(大同3)に創建され、
日本三文殊
(奈良県の桜井の文殊、山形県の亀岡の文殊)の一つとして有名。
3人よれば文殊の知恵ということで、
知恵を授かる仏様として合格祈願などで大変お世話になります。

    
橋立の入口にある橋は廻旋橋といい 、
大正12年に造られ、船が往来するたびに橋の中央部分を回転させて海道を開き、
船を通すように出来ている。
(この写真からはとても回転できそうもないのですけれどね。橋を間違えたかな?)
その時遠方より爆音をたてて、まっしぐらにこちらに向かってくる
ボート
当然こんなちっぽけな船は、橋を回転させなくても通過できます。

    
橋を渡るといよいよ日本三景の天橋立となる。
まず現われるのが、「
日本の道100選」顕彰碑。
府道「天の橋立線」は、昭和62年に建設大臣から特色ある優れた道路として
「日本の道100選」に顕彰されたとのこと。
「天の橋立線」は天橋立の中を通る砂利道で、延長3.6kmで幅員3.5m〜5.5m、
両側に約5千本の黒松の並木が続く。

    
日本三景寄植の松碑が立っているところは、
安芸の宮島、陸奥の松島と天橋立から送られてきた松の木が、仲良く並んで植えられている所である。
同様に宮島と松島にも天橋立の松が寄せ植えされている。
     
日本三景碑には、寛永20年(1643)林春斎が「日本国事蹟考」に記した、
丹後天橋立陸奥松島安藝嚴嶋為三處奇観」の文字が刻まれている。
昔から天橋立は日本三景の1つとして有名であったことを知ることができる。

     
白砂青松の美に魅了される光景となるはずが、この日のような曇天ではそうはいかなかったが、
こういう景色もまた日本三景天橋立の事実の一つでもある。
でも晴天であればいかにや美しい姿であろうか、と思う。

(2004.10の台風23号で、これらの松の木が多数倒れている無残な姿をテレビで見たが
本当に残念であり、お見舞い申し上げるとともに早い復旧を願っています)

    
3つに幹が分かれた松の木があり
その脇の碑によれば、3人寄れば文殊の知恵から、この松を「
文殊の松」と呼ぶとある。
いろいろ考えるものですね。そういわれれば、またそのように納得してしまいます。
    
薄暗い(現場はそれなりに明るいのですが)一角に、岩見重太郎仇討ち跡碑が建立されている。
剣豪岩見重太郎は、父の仇の広瀬群蔵、鳴尾権三、大川八左衛門の3人を追って宮津に入り、
この地でめでたく本懐を遂げたと伝えられている。
岩見重太郎といえば一昔前までは、
講談、大衆小説、映画で随分活躍した人物であるが、もう知らない人が大半でしょうね。
岩見重太郎は実在の人物で、大阪冬の陣
(慶長19年11月)で大活躍した
豊臣家の家臣、薄田隼人と同一だとされている。

    
時には松林の外に出て見ると、
左側は内海の阿蘇海で、右側は外海の宮津湾
晴天であれば、外海は青々とした海原に遠くの山並で、とてもきれいな景色だと想像ができる。
宮津湾の砂浜は海水浴場になっていて、シーズンともなれば大いに賑うところだと思う。

     
ふと前を見ると、なにやら腰を屈めて貝でもとっているような人の姿
もう少しクローズアップできたら、きっと絵になったと思う。

    
ようやく1時間程度かけて天橋立の府道を歩き終わり、
海岸沿いに道なりに左折して後を振り返ると湾の向うに
今来た天橋立が見える。
どうもセルピア色では感動が少ないですね

    
すると観光船のりば「一の宮駅」の建物が現われる。
観光船は、文殊堂脇の船乗り場とこことを往復をしていて、橋立府道の歩きを省略できる。
それも一つの選択でしょう。

   
さてここから山手に行くと、傘松公園がある。
傘松公園にある天へ通じるマジック台へ行くには
ケーブルカー確か乗車時間3分)で行くのが早いか、それとも平行する坂道を登るのが早いのか
賢明な皆さんなら自明の理であるでしょう。
別に早く天へ辿りついたとしても、たいしたことはありません。
傘松公園に辿りつくと、サイコロはまた振り出しに戻りページのトップとなります。
     
どうも終わってみて、天橋立を渡っても天へたどり着いたような気分にはなれません。
どうしてなのでしょうか。
ところで、このHPを作成したのは、2004.10.22
3年半前のことを思い出して作成したのですが、人間の記憶力は凄いです。
写真を見ると、そのときそのときのことがみんな思い出します。