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     北の線路
 JR
五能線
  iー愛ロマンチカ
    
2004.12.,9〜11 2泊3日でJR五能線を訪れた。
何か神秘的にも思える北の線路 五能線には是非一度訪れたいということを前々から思っていた。
それが、この頃何故か北の厳しい冬の寒さを体験したいという願望と重なり、
ついに訪れることになってしまった。
ところが訪れた3日間は、長く続いていた雨空も寒気もぴったり止んで
地元の人もビックリの青空と暖気となってしまい、冬の厳しさを体験できず、残念であった。
今回の旅で感じたことは、地方の交通機関事情で
五能線は1日6本、バスが走っているところでも数時間に1本程度で、
旅する人間にとって時間の制約が多かったということであった。
そんなわけで計画性もなかったけれど、どうも中途半端な旅になってしまい心残りであった。
でも青森のあちこちで出会った女性は、皆とても親切で心暖まるものがあった。
JR五能線駅名  川部〜東能代間の42駅で殆ど無人駅 全長 147.2km
JR奥羽本線川部駅から分岐し、日本海側を迂回して再度東能代駅で奥羽本線と合流する経路
川部 藤崎 林崎 板柳 鶴泊 陸奥鶴田 五所川原 木造 中田 陸奥森田 越水 鳴沢
車中
                                               ↓
横磯 深浦 広戸 追良瀬 驫木 風合瀬 大戸瀬 千畳敷 金ヶ沢 陸奥柳田 陸奥赤石 鰺ヶ沢
車窓 歩き 宿泊
舮作 ウエスバ椿山 陸奥沢辺 陸奥岩崎 十二湖 松神 白神岳登山口 大間越 岩館
宿泊 車窓
東能代 能代 向能代 北能代 鳥形 沢目 東八森 八森 滝ノ間 あきた白神
歩き 車窓
         

東京駅から鰺ヶ沢駅へ
2004.12.9 東京発11:56東北新幹線「はやて」で五能線鰺ヶ沢へ出発した。
前日会社で送別会があり、終電車を乗り継ぎ帰宅は1時をとうに過ぎていた。
朝のつらさに予定より3時間遅れの出発となり、この遅れが後々後悔することになった。
15:03に八戸駅に到着して、奥羽本線に乗換え16:30浪岡駅に到着。
16:44発の川部行電車をプラットホームで待っていたら、五所川原の友人を訪ねるという
某宗教団体の北海道の55才の女性支部長と偶然知り合いになってしまった。
宗教界も例にもれず新規加入者難とかいろいろ話に弾み、
五能線の始まりである川部駅のわずかな乗換え時間も共に助け合い無事
16:55川部駅を出発した。
北の夕は早く、外は全くの暗闇。
ここで3時間遅れの出発が致命傷で、この日の取材は諦めることとなった。
それならままよと、件の女性との話に夢中になっていると、ついに五所川原駅に到着。
大勢の乗客と共におりていく女性にさよならをしていたら、入れ替わりに女学生の大群。
前の座席に座った可愛い女生徒の、五能線記念写真を1枚。
その彼女も次の木造駅で降りてしまい、以降は1人寂しく電車の走る音だけを聞いていたのでした。
ただ何やら女性に恵まれる予感のする五能線の旅を感じたのであった。

      
鰺ヶ沢町から千畳敷へ
鰺ヶ沢町:津軽藩発祥の地で、またその要港として栄えた海の町。北は日本海に臨み、南は世界遺産に登録された、クマゲラの生息地としてしられる白神山系を有し白神山地と豊かな自然に恵まれている。          
今夜泊まるところを車中から途切れとぎれの携帯電話で青森県観光総合案内所に紹介してもらい、
ホテルに電話すると鰺ヶ沢駅に迎えに来るという。
17:55鰺ヶ沢駅に到着。
ホテルは、西津軽海岸唯一の湯治場として出湯以来60年間親しまれているという
ホテル山海荘で、
思いがけなく湯治場雰囲気を楽しむことができた。
ここの
フロントの女性は、とても魅力的な美人でつい虜になりそうになり
慌てて写真をお願いしましたら快く応じていただき感謝、感激。
夕食はホテルの前にある「
じょじょ長屋」で、近海の新鮮な魚介を心ゆくまで地酒で食し、満足。
夕食代を含めたホテル料金も格安で、湯治場雰囲気がイヤでなければお勧めの温泉宿と言える。

(写真は全て翌朝撮影したもの)
翌日10日8:25 改めてJR鰺ヶ沢駅を訪れた。
駅舎はちょっと変わったとんがり帽子で、ここでも駅舎の形には工夫を凝らしている。
さてここから大戸瀬海岸千畳敷までの約22kmを歩くことになってしまった。
駅の正面には西へ向かう真っ直ぐな道路があり、数分歩くと中村川にかかる舞戸橋を渡る。
橋の上から下流を見ると
101号線の朱色の橋が川に映って見える。
橋を渡り右折し101号線を横断して海岸沿いの静かな道路にでると、海側に
はまなす公園がある。
朝の新鮮な潮の香りが漂うはまなす公園に入ると正面に、
海の青さをバックにして「
日本海にひらける町」と書かれた時計台があり、
左手には
漁港が見える。
海岸沿い道路に戻り少し歩くと、左側に「海の駅」の大きなリング看板が出ていて
その左方に色彩の似合った
海の駅の建物がある。
多分海の駅は海産物店と思われるが、何故か2階に「鰺ヶ沢相撲館」がある。
この地の出身力士舞の海と関係あるのかもしれない。
また建物の脇には、地元の漁船が引き上げたという真っ赤に錆びた
千石船の2番碇が展示されている
開館前で残念ながら中を見物することができなかった。
平行に走っている101号線に出て本町に入ると
左側に鯵ヶ沢の総鎮守として信仰を集めている
白八幡宮がある。
通りをさらに進むと、右側の児童公園に「本町一丁目」の謂れを記した標識が立っている。
それによると、ここは古くは「上町」と称し、1661年
(寛文年間)以前から開けた町で、
町奉行、番所、高札場と船問屋が軒を連ねる政治、経済の中心地であったという。
その先の右手奥に魚セリ市場があり、この時間既にセリは終了し箱詰作業中であった。
バケツの中の魚を拝見すると、確かこの顔は
秋田名物ハタハタのはず。
101号線をさらに進むと道は十字路になるので左折する。
数分歩くと左側の来生寺門前に「
釣町」の謂れを記した標識があり、
これによると1637年
(寛永14)頃に釣師の町と呼ばれるようになり、後に釣町となったという。
道を挟んだ
永昌寺の前には「漁師町」の謂れを記した標識があり、
鰺ヶ沢創世期から集落を形成していた町で、寛永年間の頃は海土町と呼ばれていたという。
鰺ヶ沢には、町名の謂れを記した標識があちこちに立てられている。
周囲に人家がまばらになった道を20分ほど歩くと、右側に巨大なボトルが2本
(有)白神山美水館の広告塔でした。確かに一度飲んでみたい気にさせられる。
何もない道をさらに10分ほど歩くと、焼イカ通りという看板があり、10軒の焼イカ屋が並んでいる。
ここは鰺ヶ沢町赤石で、ところどころに
イカが干してあり、食欲をそそる。
ピンクに弱い私はピンク色建物の「
めめちゃんの店」に入る。
艶麗な
青森美人ママが、奧から出て来てニッコリ。
早速最高級のイカを焼いてくれて、誰もいない薄暗い奥でビールを飲みながら二人で密談(?)。
平成17年にバイパスができてからめっきり客が少なくなり、私のような飛び込み客は珍しく、
固定客で成り立っているとのこと。
中には、安い小型イカを提供して利益を出している店もあることなど、話が先に進む。
ママの魅力でつい30分以上過ごしてしまい、乗車予定の次の陸奥赤石駅までの時間が迫ってしまった。
ママから道順を聞いて慌てて店を出ようとしたら、
何を思ったかママが店のミネラルウオーターのボトルを1本私にプレゼントしてくれるではないか!
ママの言では101号線と別れ10分ほどで駅に着くはずが、中々駅らしいものが見つからず
たまに見かける町の人に聞けば右に右に行けばよいとか、まだまだ遠いとかただそれだけの回答。
焦り、走り、まだ見つけられない駅にもう時間がない。
人影のない道に後からバイクの音。道の真ん中で手を広げて大声で「赤石駅はどこか!}と尋ねる。
バイクの男は知らん顔して過ぎ去ってしまった。この時点で鰺ヶ沢の男は不親切と断定した。
後で分ったのですが、バイクに出会った所の右坂を登ったところに、赤石駅があったのである。
仕方なく汗ビッショリになり走り、赤石川にかかる基橋を渡っているとき、
右手の鉄橋を、私が乗るはずの電車が走っているではないか。
次の電車まで3時間もある。何しろ1日数本しかない貴重な電車である。
陸奥赤石駅から千畳敷駅まで電車で行き、そこから歩く予定を急遽変更し、
引き続き千畳敷まで歩くことにした。
基橋を渡り右折し五能線を横断して再度101号線に出ると、
千畳敷の交通標識が立っている。
ただただ
なりに進んで、101号線を約1km行くと右側にENEOSのガソリンスタンドがあり、
その前に
深浦町境界看板が立っている。
ここで鰺ヶ沢町と別れ深浦町に入る。
左側に鰺ヶ沢の方向へ走る電車を見ながら5,6分歩いて行くと、
左側のちょっと高いマウンドになんと
マンガの可愛い人気者が勢ぞろいしているではないか!
カカシ代わりにしては迫力ないし、何の目的でおいてあるのかと今でも謎である。
江沢、柳田と進むと道が2つに分岐する点に
自動販売機を適正に設置および管理に関する条例制定のまち 深浦町」の大きな看板。
自動販売機の空白地域を無くし客に不便をかけさせないようにするための条例なのだろうか?
それとも過当競争を避けるために自動販売機の設置を制限するための条例なのだろうか?
常識的には後者なのかもしれないが、今の世の中何故そんなことをする必要があるのか疑問。
それにしてもそんな条例を大きな看板で町以外の人に知らせる必要があるのだろうか、
などなどいろいろ考えさせる不思議な看板である。
101号線のところどころの海側にがたっているが、多分この辺り海岸なので強風対策であろう。
道は徐々に低い山へと登って行き、右下を眺めると
漁港と集落の屋根が見える。
やがて頂上辺りの
切通の道となる。
すると前方左側丁字路に、「大戸瀬中学校 700m」看板が出ている。
←の方向を見ると、全く人家のない
雑木林の中の一本道である。
こういう道が通学路となっているのであろうか?
もしそうだとしたら犯罪者に格好の場所の提供となるのではないかと、心配でしょうがない。
道は下り坂となり、五能線の北金ヶ沢跨線橋に来ると前方に岩礁の多い海岸線が見えてくる。
千畳敷が近い予感を感じながら歩くと、ところどころに
魚類が干してある。
私は干魚が好きなので、もしかして今夜の食事で食べることができるのではないかと楽しみにしていた。
(結果は、夕食でなく朝食に出たのでした。)
さらに進むと岩数が段々多くなり、すると「夕陽海岸ふかうら 千畳敷天然海水プール」の大きな看板。
そしてその脇に
かぶと岩の看板があるので、海岸を見るとまさにそっくりの岩があった。
極力看板に似せて撮影したつもりであるが、少しずれていました。
夕陽の美しい海岸は、海水プールで見る夕陽も格別だと思う。ただし夏季専用でしょうね。
海岸沿を道なりに歩いて行くと、左に千畳敷海岸標識が立っている。
そのすぐ先には、駅舎のない無人の
JR五能線千畳敷駅があり、徒歩で13:30到着。
時刻表を見ると、一日上下わずか各6本で次の電車は14:49発と、1時間20分もの待ち時間がある。
景勝地千畳敷は駅の目の前に広がっている。
入口には、小説「千畳敷」を記した大月桂月文学碑と並んで、
千畳敷海岸隆起生誕200年記念があり、
そこには地元金木出身の太宰治の小説「津軽」の千畳敷の一節が刻まれている。
入口の階段を降りて行くと
一面岩礁が広がり、所々に潮溜りもある、ただそれだけのことなのだが・・・。
ただし来るべき人ときて一緒に磯遊びでも楽しめば、またそれなりの感動があると思う。
千畳敷は1792年の大地震で、海底の岩盤が12kmにわたり最高3・5m隆起してつくられたもの。
津軽藩殿様が千枚の畳を敷いて酒宴を開いた事から、こう呼ばれるようになったという。
101号線に戻り駅の右手を見ると、線路の反対側にがあるではないか!
せめて5,6mの高さであるが、この平坦な地のどこから流れてくるのか、大いに関心を持った。
さて時計を見ると、次の電車にはまだ1時間以上ある。
駅前には数軒の食堂があり、ここで遅い昼食をとることにした。
地元のじゃっぱ汁、野菜定食とビール。
客は2人だけの地元の人でママがお相手しているが、方言ばかりで8割がた理解不能。
店員のフミチャンが私のお相手をしてくれ、じゃっぱ汁は岩のりに石鯛を入れたあるという。
1時間以上かけた食事も終わり店を出ようとしたら、フミチャンから特別なサービス。
青森の女性は情が深いとつくづく思った。

       
千畳敷駅から舮作駅へ
千畳敷駅発14:49発深浦行電車がようやく到着。
ここからは電車は南西へ向かって走る。
弓状になった海岸沿いに電車は走って間もなく、海岸砂浜が一面色とりどりのゴミの山
この状態は延々と多分10km以上は続き、松林の中まで、田畑までゴミの山。
これほど大規模となると人為的というよりは、大陸などから海に流されてきたのではないだろうか?
いずれにしてもイメージダウンであることは間違いないが、赤字財政で処理できないのだと思う。
遠くには
小さな島が見える。
千畳敷駅の次は大戸瀬駅。ゴミの山を見ながら進むと風合瀬(かそせ)
さらにゴミの山が続いて
驫木(とどろき)
とても読めない駅名が続き、興味を誘ってくれる。
風合瀬は、3方向から吹いてくる風が沖合いでぶつかることを意味し、
驫は、馬が激しい波音に驚いて逃げるということを意味する、とのこと。
日本海の冬の風と波の厳しさを言っているのではないだろうか。
そういえば、海岸に続いているゴミの山もこの厳しい気候と関係しているように思える。
電車は次の追良瀬(おいらせ)駅に向かい、窓の外から前方を見ると逆光に光る雲と海
さらに広戸駅を過ぎると海岸の景色も変化に富み、
窓の後方には
順光に輝く海岸。そして大きな岩々
やがて乗換え駅の深浦駅に15:19到着。
ここは駅員がいる駅で、乗換え乗客の安全に対してはことのほか心配りをしていた。
駅舎はなんと可愛いらしいことでしょう。中には「ようこそ深浦へ」の大きな歓迎人形。
駅を出て左の通りがおそらく
メインストリート
正面はすぐ岸壁で、
夕陽に見える港
深浦駅15:43発東能代行き電車に乗換え、
平凡な
海岸線を見ていると、電車は次の横磯駅を過ぎ今日の宿泊ホテルのある舮作駅へ向かう。
舮作(へなし)15:56着。
駅舎は平凡な民家の倉庫のようであるが、五能線の駅舎はとてもユニークなものが多い。
駅にはちゃんと私のために、フロントの妙齢のYちゃん運転の車が迎えに来ていた。
実は昨夜宿泊したホテルのフロントから、
今は忘年会シーズンなので、事前にホテルの予約をしておいた方がよい、とのアドバイスがあった。
有名だというホテル不老不死にしようか、それともホテルみちのく温泉にしようか迷った。
不老不死は海岸の混浴で有名とのことなのだが、
こんな寒い冬の海岸に果たして女性は入りにくるだろうか、と理詰めに考えて、みちのく温泉を選択した。
迎えの車は、何にもない
駅前の道を山の方へ登って行った。
(写真は全て翌日の朝撮影したもの)
まさに林の中の一軒宿のホテルみちのく温泉に到着。
入口の右手には、青森ヒバで作った直径22m、重さ35トンの
日本一の大水車がそびえている。
着替えてすぐ
五能線の電車(写真右)が眼下に見えるという露天風呂温泉に、寒風の中早速入ったが、
冷たい風呂でガタガタ。隣の女性風呂も誰もいない。
寒い冬空に入るような奇特な人はいないから、多分温泉を止めているのかもしれない。
それに4時間に1本程度の電車を、水風呂で辛抱強くまっているようはバカもいないですよね。
ただ電車は別にして、夏は夕陽に映える海岸を眺めながらの露天風呂は最高かもしれない。
何故か先ほどのフロントのYちゃんと仲良くなり、
部屋食のお膳に熱燗の銚子1本をサービスしてくれたうえ、地元の絵葉書5枚もいただいてしまった。
翌朝女将さんと電車時間一杯まで話が尽きず、
帰り際わざわざ店から暖かいウーロン茶のボトル1本を持ってきて手渡してくれた。
本当に青森の女性には、サービスばかりをしていただきました。
(写真は全て翌朝撮影したもの)
ホテルを出ると、Yちゃんでない送りの車の美人運転手が私を待ってくれているのでした。
      
舮作駅から能代駅へ
無人の舮作駅に行くと、プラットホームのベンチに若い女性が一人寂しく座っているではないか。
何を思い、何を考えているんだろう?
(彼女の気持ちを知りたいければ、画像の上にマウスポインターをあげてください。)
舮作駅発東能代行 8:03の電車に彼女と一緒に同じ車両に乗りました。
この若い彼女とまたある所で再会するとは、このとき想像だにしませんでした。
電車は南へ向かい、次の駅は
ウエス椿山駅
駅前はこれまでの五能線駅前とは全く違い、広い
駅前広場には近代的な建物が建っている。
なんとなく一度は来てみたくなる駅であった。
車窓からの風景も次々と変わり、陸奥沢辺駅、そして次は陸奥岩崎駅。
岩崎駅では左側の車窓に突然立派な建物が現われたが、確かこれは
銀行の建物であったと思う。
さすがですね、銀行は。
車窓からの景色を楽しみながら、十二個駅、松神駅、白神岳登山口駅と過ぎて行く。
大間越駅からは特に海岸が険しくなり、よく五能線紹介の写真となることろだという。
また次の岩館駅との中間に青森県と秋田県の県境がある。
確かに海岸はなんとなく険しくなったような気がするし、トンネルに入り出て、
波頭も白くもなります。
やはり吹雪いていたりすると、厳しい海岸であり五能線という実感がすると思う。
やがて電車は岩館駅に到着すると、プラットフォームには1人の旅人が電車を待っていた。
ここは秋田県の岩館駅
気のせいか何となく海岸の景色も穏やかになり、あきた白神駅、滝ノ間駅を過ぎる。
ハタハタで有名な八森駅に到着した。
プラットフォームには冬囲いのような入口があるが、多分これは改札口への通路ではないかと思う。
右車窓からは、
八森の町並と遠くに白い波の日本海が見える。
ハタハタ漁も最近解禁となり、大漁で賑わっているとテレビで見たがご同慶の至り。
降りて町を歩いて見たかったが、次の電車は4時間後、潔く諦めました。
八森駅を出発して車窓から後を振り返ると、そこには大きな風力発電の羽根車
絵になりますね。
車窓からの景色を楽しみながら、東八森駅、沢目駅、鳥形駅と過ぎる。
北能代駅についたとき、その駅舎にビックリ。
これ明らかに客車ではありませんか!JRにはさすが知恵者がおりますね。
私は凄いアイデアだと思います。
向能代駅を過ぎると、大河を思わせる米代川の鉄橋を渡り能代駅に到着する。
ここから東能代駅まで歩くことにし、下車をしたのであるが、
舮作駅からの若い女性は座ったまま。

     
能代駅から東能代駅へ
外はとても冷たい風が吹いていた。
能代駅と、高いビルがない能代駅前の風景。
駅を出てすぐ左折して五能線と平行して走る道を約4km歩いて東能代駅へ行くことにした。
左折するとすぐ右に
能代市公設市場がある。
「公設」と言う言葉が懐かしい。
最近主婦業も少しはやっているので、さっそく中に入った見たが商品が高いか安いか判断つかなかった。
どうも主婦業の基礎ができていないようです。
市場を過ぎると左側の東能代へ行く
五能線の踏切を横断して進む。
ふと目にしたバス停は「
養蚕」で、この地で養蚕が盛んだったのであろう。
しばらく歩いていると、左手の人家の向うに土手が見える。
多分米代川と駆け上がれば、やはりそこに悠久の流れを思わせる
米代川があった。
米代川と五能線に挟まれた元の道に戻り5,6分歩いて行くと、米代川にそそぐ用水路がある。
その左手前に、「
菅江真澄の道 満多衣母橋の橋守の跡」史蹟碑がある。
説明文があるが、残念ながら古文(?)で書かれているので、教養のない私には理解できなかった。
道路の反対側には「
田中親政居住地跡」史蹟碑が立っている。
農業開発者で「榊米」の生みの親とのこと。
これらの史蹟碑は、能代歴史ロマンを語る会が平成14年に建立したものとあるが、
私にとっては余りにもローカルすぎて、特に橋守などはもう少し分りやすい解説が欲しかった。
時々太陽が顔を出す寒い道を進むと、
左側の敷地に樹木(?)がコモ
(というのではないでしょうか?)冬囲いしている光景に出会った。
私にとっては最近メッタに見られない光景で、とても懐かしく思った。
その先のバス停の名は、「
煉瓦場」で先ほどの養蚕といいとても地場に密着した命名で分りやすい。
さらに進むと左側の
仁井田浄水場には、色がとても似合う貯水塔が見える。
道なりで進むとやがて五能線踏切手前で丁字路になり、右折し、さらに左折して進む。
やがて「
50m先で左折 東能代駅」の交通標識が見えてくる。
十字路を左折すると、正面遠くに
東能代駅が見える。
10:50 東能代駅に到着。
駅舎に入って時刻表を見ると次の秋田行き電車は11:45発 特急「かもしか」。
時間があるので、缶ビールを買い人気の少ない駅のベンチに座った。
ふと横を向いたら、なんと能代駅で別れたはずのあの若い女性が同じベンチに座っている!
当然この駅には1時間以上も前に到着しているはず。
私を待っていてくれたのだろうか、それにしても私がここへくることをどうして分ったのか。
などなど気が動転しているので、支離滅裂な思考。
そのうち、大曲行電車の案内が始まったら、彼女は席を立ちました。
単なる偶然のいたずらであったが、最後の最後まで五能線は素敵な女性ばかりの出会いでした。
よき思い出に感謝して、秋田駅から「こまち」で横浜に向かいました。
    
念のため申し添えておきますと、東能代駅から横浜まではもう女性とは無縁となりました。
これが普段の私の姿です。