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2021年3月30日 |
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巡る行田
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埼玉県行田市 |
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この地には、2021年11月2日に訪れた。 |
新型コロナの影響で旅行などままならないところ、恐る恐るJRで古墳があるという行田市を訪れた。 |
貸自転車利用で多くの観光地訪問を試みたが、貸自転車返却締切り時間の関係で古墳を全部見ることが出来なかった。残念! |
また、古代蓮の里ではシーズンオフでカラフルで美しい古代蓮を見ることができず、これまた残念。 |
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経 路 |
JR行田駅→ 忍城址庭園→ 水城公園→ 秩父本線行田市駅→ 行田八幡神社→ 浅間塚古墳・崎玉神社 |
→ 古代蓮の里→ さきたま古墳公園 |
走行距離 :約20km (庭園内、公園内 除く) |
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行田駅と観光案内所 |
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JR高崎線行田駅。もう一つ中心街に私鉄秩父本線行田市駅があるが、地元ではそちらが馴染みのよう。 |
行田駅前にある、こじんまりとした「観光案内所」 |
この案内所には、貸自転車が(無料)普通自転車20台、(有料)電動自転車4台ある。 |
電動自転車を借りたが、ブリヂストン製のよく整備された軽快な自転車で、とても気持ちよくサイクリングできた。 |
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忍城址庭園へ |
駅から北東へ向かって、忍城址などのある約4km離れた市の中心街へ、単調な一本道を真っすぐ進む。 |
忍 城 |
忍城(おしじょう):室町時代中期の、1478年(文明10年)に豪族成田氏によって築城されたと言われる。 |
利根川と荒川に挟まれた扇状地の利を活かした難攻不落の城で、数度の城攻めにあっても一度も落城しなかった。 |
1590年(天正18)、豊臣秀吉の関東平定の中で戦われた、石田三成の忍城水攻めにも耐え抜いたことから、 |
この城は水に浮くのかと恐れられ「忍の浮き城」とも称されるようになった。(映画「のぼうの城」の舞台) |
江戸時代には、御三階櫓を建設されるなど城郭改修など行われたが、1871年の廃藩置県で廃城となった。 |
その後1988年に、取り壊された本丸跡に天守として「模擬御三階櫓」が再建された。 |
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忍城址庭園 |
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忍城通りから見た、忍城址庭園にある「模擬御三階櫓」。 |
堀を渡って、忍城址門へ。 |
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門を入ると、よく整備された立派な庭園。 |
左手に、先ほど眺めた格調高き「模擬御三階櫓」、右手を進むと左側に古式ゆたかな「あずまや(休み処)」。 |
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突当り右手に、「史跡 忍城の鐘」 |
鐘の登り口辺りに、こんこんと湧き出る井戸ときれいな水の流れ。流れつくところは大きな池。 |
この美しい流れを見ただけでも、この庭園を訪れた価値が十分あった。 |
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池から左折すると、県道128号線に面した(有料)「行田市郷土博物館」。 |
博物館の中から、「模擬御三階櫓」へ上れる。 |
御三階櫓から見た庭園と行田市街地。 |
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水城公園へ |
水城公園:忍城址から南西へ約500m離れたところにある、忍城の外堀の沼を利用して整備された公園。 |
開園は昭和39年。四季折々の草花が植えられ、市民広場の芝生、池のある庭園など美しい自然を楽しめる公園で |
市民の憩いの場として年間を通して親しまれている。 |
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水城公園 |
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正面入口からのメインストリートで、のんびり釣りを楽しむ人たちでいっぱい。 |
大きな「しのぶ池」、小さな池。 |
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秩父本線行田駅 |
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水城公園から北へ約1kmのところに、小さな駅舎の秩父本線行田市駅。 |
地元では、JRの行田駅より市街地にあるせいだろうかこちらの駅の方が馴染みのよう。 |
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以下、この駅を起点として、県道77号線「古墳通り」を南へ向かう。 |
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行田八幡神社 |
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行田八幡神社は、古墳通りを約400m南下した左手奥にあり、源頼義・義家が奥州討伐のためこの地に滞陣した折、 |
戦勝を祈願して勧請された、と伝えられている。 |
天文年間に、忍城主成田長泰により城下町の総鎮守となった。 |
現在の社殿は、平成元年に造営されたもの。 |
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行田八幡神社に鎮座する境内社 |
下記以外にも、何故これほどと思うほど多くの境内社が鎮座している。何故だろう? |
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なでもも:桃を撫でて病魔や厄災退治を祈願する。 |
戌亥八幡:神社祭神応仁天皇が戌の月の亥の日生まれたことから、開運・家族繁栄の戌亥八幡として祀られている |
結びいちょう:「結び文」に願い事を記入し、結び紐に結びつけ、神様とご縁を結ぶ。 |
虫(赤ちゃんの夜泣きなど)封じいちょう:いちょうは、古来より虫よけによいと言われている。 |
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浅間塚古墳と前玉神社へ |
行田八幡神社を出て、古墳通りを南下。 |
忍川にかかる野合橋を渡った先で、後刻訪れるさきたま古墳公園を分断して通ると |
公園の外れから約200m先右側に、浅間塚古墳と前玉神社がある。 |
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浅間塚古墳と前玉(さきたま)神社 |
浅間塚古墳:円墳。直径58m高さ8.7m。築造時期7世紀前半。さきたま公園の古墳群とは別になっている。 |
前玉(さきたま)神社:浅間塚古墳頂上に鎮座。 |
延喜式の式内社で、幸福をもたらす神様であり縁結びの神様として知られている。 |
この神社名「さきたま」が、「埼玉」の県名の語源とも言われている。 |
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浅間塚古墳と前玉(さきたま)神社 |
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右手奥ににこんもりとした小高い森が、浅間塚古墳。 |
古墳左裾に、ちょっと神秘的な龍泉池。 |
古墳正面に、前玉神社鳥居。 |
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鳥居を潜って古墳の参道を上って行くと、 |
登り口両側に元禄10年(1697)地元の埼玉村氏子たちが所願成就を記念して奉納した高さ1.8mの石燈籠がある、 |
急な参道階段を上り切ったところに、神社名が「埼玉」の語源と言われる前玉神社の社殿。 |
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古代蓮の里へ |
アクセス道はいろいろあるが、ここでは古墳通りを南下し埼玉信号交差点を左折して県道148号線を進み、 |
次の埼玉(東)信号交差点を左折して県道364号線古代蓮の里信号交差点を右折するのが、分かりやすい。 |
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古代蓮の里 |
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古代蓮の里案内図 |
1971年(昭和46年)に、造成工事で蓮の実が掘り起こされ、その後自然発芽して池に一斉開花したもので、
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全国的にも極めて珍しいとのこと。 |
この古代蓮は、約1,300~3,000年前のものと言われている。
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只今はシーズンオフで、見頃は6月中旬から8月上旬頃で42種類約12万株の蓮が咲くという。。 |
古代蓮会館には、行田蓮発掘調査記録が保存されている。 |
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蓮の花をイメージした高さ約60mの展望タワーは、周囲に高い建築物がないので遠くからでもその美しい姿が見える。 |
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展望タワーには古代蓮会館から入館し、専用エレベーターで展望台に上る。 |
展望台からは、眼下に園内の一部とどこまどでも続く田園風景。 |
そして反対側に、隈取した歌舞伎俳優を描いた世界最大の田んぼアートを見ることができるが、シーズンオフで寂しいアート。 |
是非、シーズンのカラフルな美しいアートを見ていただきたい。 |
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古代蓮会館のを出ると、古代蓮の里美人が出迎えてご案内、 |
シーズンになると桜の花がいっぱい咲き誇る「お花見広場」 |
その奥に、ピンク色の古代蓮が咲き乱れているはずの大規模な「古代蓮池」。 |
シーズンオフなのが残念。ただ、広い園内を自然いっぱい散策する楽しみはある |
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さきたま古墳公園へ |
古代蓮の里を出て県道36号線に戻り、旧忍坂川沿いに西へ進む。 |
前方に、さきたま古墳公園の中の古墳群の一つ稲荷山古墳が見えてくる。 |
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さきたま古墳公園(前身 さきたま風土記の丘) |
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さきたま古墳公園案内図 |
開園1976年、面積37.5ha(2017年現在)。2007年に「日本の歴史公園100選に選定されている。 |
園内にある、さきたま古墳群とさきたま史跡の博物館(分館として将軍山展示博物館)を訪ねた。 |
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さきたま古墳群 (1938年に国の史跡、その後2020年に国の特別史跡に指定) |
5世紀後半から7世紀中ごろまでにわたって築造された前方後円墳8基と円墳1基からなり、全国有数の大型古墳群。 |
被葬者は、いずれの古墳も不明。 |
かっては、大型古墳の周りに小型古墳がある円墳35基方墳からなっていたが、昭和初期の沼地開拓で取り壊された。 |
古墳群を自転車で周ったが、あまりにも広すぎて時間がなく9基中6基しか訪ねることしかできなかった。残念! |
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稲荷山古墳 (前方後円墳) |
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稲荷山古墳:概略寸法 墳丘全長 120m 墳丘高 10m |
築造は、古墳群では最初の築造で5世紀後半。墳名由来は、墳頂部に稲荷神社が祀られていたことによる。 |
後円部には階段があり、上がると墳頂は想像以上の広い広場で、右手と奥に埋葬復元施設がある。 |
また、広場からは晴れた日には約100km先の富士山を見ることができるという。 |
墳頂から続く、前方部。 |
前方部は、1937年に周辺の沼地の干拓工事の埋め立て用地の土地として取り崩されたが、 |
現在は、2003年の復旧工事で復元されている。 |
115文字が刻まれた金錯銘鉄剣と呼ばれる剣など、稲荷山古墳の埋葬施設から出土した遺物は、 |
一括で国宝に指定されていて、「さきたま史跡の博物館」に保存されている。 |
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丸墓山古墳(円墳) |
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丸山古墳:概略寸法 墳丘直径105m 墳丘高17m。古墳群で最も標高が高い。日本で2番目に大きい円墳。 |
築造は、6世紀前半。 |
階段で円墳頂の広場に上れる。(なお、階段で墳頂に上がれるのは、古墳群では丸墓山古墳と稲荷山古墳のみ。) |
墳頂広場には、桜の木が多数あり桜の名所として市民親しまれている。 |
またこの広場は、忍城水攻めの舞台になったところ。 |
1590年、豊臣秀吉の家臣石田三成が忍城を水攻めしたとき、この広場に陣を張って進捗状況を監視したという。 |
広場の北西方向に、再建された忍城3階櫓を見ることができる。 |
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将軍山古墳(前方後円墳) |
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将軍山古墳:概略寸法 墳丘全長90m 墳丘高8m 築造は6世紀後半 |
復原整備工事が行われ、墳丘には築造当時の埴輪のレプリカが並べられている。 |
後円部に造られた横穴式石室からは、多種多様な副葬品が出土している。 |
中でも、馬冑と呼ばれる馬の武装用の冑は国内で3例しかないという、珍しい副葬品。 |
また石室内部には平成9年オープンの「将軍山古墳展示館」が設置され、石室や副葬品を見学できる。 |
(墳丘への立入不可) |
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二子山古墳(前方後円墳) |
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二子山古墳:概略寸法 墳丘全長132m 墳丘高13m。 築造は、6世紀前半。 |
古墳群の中で最大規模の前方後円墳で、墳名由来は、名前のように2つの山のように見えることから。 |
墳丘の造出(古墳に直接取り付く壇上の施設)からは、多数の須恵器や土師器などが出土している。 |
(墳丘への立入不可) |
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瓦塚古墳(前方後円墳) |
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瓦塚古墳:概略寸法 墳丘全長73m 墳丘高4m 築造は、6世紀前半。 |
瓦塚の名前の由来は、明治時代の初めころこの辺りに瓦工が住んでいたことから。 |
墳丘や中堤に、須恵器や円筒型、家型、水鳥、盾、人物型などの多くの形象埴輪が出土している。 |
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愛宕山古墳(前方後円墳) |
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概略寸法:墳丘全長54m 墳丘高 3m。 築造は、6世紀中ごろ。 |
さきたま古墳群で、最も小さい前方後円墳。 |
愛宕山の名前由来は、かって墳頂に愛宕神社が座していたことによる。 |
円筒埴輪や形象埴輪が出土している。 |
(現在発掘調査中) |
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以下、時間がなく訪れていない古墳。 |
鉄砲山古墳(前方後円墳) |
概略寸法:墳丘全長107m 墳丘高9m 築造は、6世紀後半。 |
さきたま古墳群で、3番目の大きさの前方後円墳。 |
鉄砲山の名前由来:墳丘西側に、江戸時代の忍藩が砲術訓練場を行った角場があったことによる。 |
鉄砲山古墳の大きな特徴は、全国的にとても珍しい三重堀を有する古墳であること。 |
後円部南に、横穴式石室がある。円筒埴輪、朝顔形埴輪、土師器、須恵器などが出土。 |
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中の山古墳(前方後円墳) |
概略寸法:墳丘全長107m 墳丘高9m |
築造は、6世紀後半から7世紀初めで、埼玉古墳群で最後に作られた古墳。 |
出土品は、他の古墳ような埴輪ではなく変わった土器の須恵質埴輪壺。 |
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奥の山古墳(前方後円墳) |
概略寸法:墳丘全長107m 墳丘高9m。 築造は、6世紀中ごろ |
さきたま古墳群では、2番目に小さい古墳。 |
墳丘の造出から、全国的にも珍しい須恵器の子持ち壺が出土している。 |
また墳丘の南西コーナーからは、古墳を邪悪なものから守るために並べられた盾持人埴輪が出土している。 |
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県立さきtま史跡の博物館 |
入館料:200円 (将軍山古墳展示館観覧料含む) |
史跡「さきたま古墳群」および国宝「武蔵埼玉稲荷山古墳出土品」をはじめとする、貴重な文化財が保存・展示されている。 |
入館・見学されることを、是非お勧めしたい博物館。 |
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時は、16時30分。ついつい時間を忘れて見学してしまい、急いでも貸自転車の返却時間の17時には間に合いそうもない。 |
申し訳ありませんでした。 |
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