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箱根に遊ぶ
iー愛ロマンチカ
    
2003.11.22、23に箱根に遊んだ。
この月は天候不順の毎日であったが、
その日は幸いにも晴れて
日頃の行いの良さかと思ってしまった。

箱根のあちこちは、
まさに今が盛りの紅葉で満ち溢れ
心ゆくまで堪能したが、
拙い腕前の写真ではうまく表現できなく
残念に思う。

箱根は余りにも有名過ぎる観光地で
多くの方が既にご存知の地であり、
i如何に紹介したらよいか苦慮したが、
とりあえずは勝手な切り口で
アプローチしてみた。

箱根神社元宮と箱根神社:箱根の山は古くから山岳信仰のメッカで、6,7世紀から既に修行者達が足を踏み入れ、宗教活動が行われていた。孝昭天皇の頃、聖占上人が箱根駒ケ岳山頂に神仙宮(箱根神社元宮)を祀り、修験の場所とした。その後757年に萬巻上人が中心になって箱根山に駒ケ岳神仙宮の里宮を建てたのが箱根権現(箱根神社)の基礎となった。
以降箱根権現は源頼朝を始めとする武将に崇敬され全国にその名を知られるようになった、
芦之湯温泉:鎌倉時代に開湯した温泉郷の箱根七湯のひとつで、箱根駅伝で有名な国道1号線に面した標高が最も高いところにある旅館2軒、民宿3軒の小規模の温泉地。温泉は単純硫黄泉、含硫黄カルシウム硫黄塩泉の2種類があり、箱根でも数少ない硫黄泉があるところ。ただ硫黄泉であるがPHは弱アルカリを示す。
  
松阪屋本店旅館:芦之湯は芦の湿原に温泉が涌いていたところで、江戸時代の始めに干拓して湯治場を拓いた。この工事を行ったのが松坂屋の祖先であったいう。創業300年の老舗で、広い日本庭園を持ち、離れが2つある旅館。西郷隆盛など歴史上著名な人々も多数宿泊していて、獅子文六が「箱根山」を執筆した部屋は現存している。現皇太子は学生の頃毎年宿泊していた。
東光庵:江戸時代の国文学者・賀茂真淵や狂歌師・蜀山人などをはじめとする多くの文人墨客たちが集まり地元の人たちと詩歌や俳句などを作って楽しん庵で、熊野神社の境内にある。芦之湯の歴史を特徴づけてきた東光庵は、明治15年(1882)に朽ち果てたが、平成13年に江戸時代の建築方法に従い完全復元された。
熊野神社の境内には所縁の文人墨客たちの文学碑が多数ある。

11.22午後、東名高速御殿場ICで降りて国道138号線で箱根へ向かう途中に湿原植物群に立ち寄り、一面枯れススキの姿のススキ草原を見た。広大な草原を見渡していると、そのとき一瞬曇り空の隙間から光が洩れて来て逆光の枯ススキが現れた(写真右)。その様はとても神秘的にも思えるものであった。
しばらく行ってから、国道1号線に出て宿泊予定の芦之湯温泉の松坂屋本店に向かった。
予約した時点では知らなかったのであるが、後で何しろ歴史上の多くの著名人が宿泊した旅館と知り、正直少々場違いな旅館であったかと少し後悔気味になっていた。
旅館の
門前に着くと、奥に木造の建物がありそれが松坂屋本店で、バックになっている紅葉した山がまた素晴らしく映えていた。
100mほど歩いて旅館に着き正面玄関から建物を見ると、平凡すぎるほどの質素な外観でなんとなく拍子抜けしてしまった。外観で中身を評価してはいけないということは充分承知しているが、正直なところ並みの外観に安心さえした。
玄関は狭いくらいの広さで、左側に事務室があり正面には応接セットとショーケース
宿泊する部屋は奥の棟ということで、正面廊下を真っ直ぐ歩いて行くと突然廊下に地下にもぐる階段(写真左)がありビックリしてしまう。理由は地上に教育委員会が管理している湯坂道(鎌倉街道)が通っているので道を分断することができなく、廊下を地下道にしたとのこと。史跡保存もこんなところにまで苦労をしているのかと感心した。
湯坂道:東海道以前の道で、鎌倉時代に湯坂道が官道として利用されるようになったことで、芦之湯、湯本を初めとする箱根の湯治場が誕生した。
さらに廊下を歩くと右手の
奥の方に暖簾(写真中)。ここは大浴場で男風呂と女風呂に別れていて、時間で男女の風呂が交替するようになっている。この時間による交替は全国のホテル・旅館でよくあることで、男女平等精神からはよいことではないかと思う。
余談であるが昨年伊豆のある温泉に行ったときのこと、早朝急ぎ浴衣を脱いで大浴場のガラス戸をガラリとあけたら、目の前にそれなりに若い一糸まとわぬ女性がカランで一生懸命裸身を洗っている姿と目と目がバッチリでお互いドッキリ、ビックリ。女性が交替の時間を忘れた結果であったが、逆ならセクハラもの。お互い気をつけましょうね。
さらに進んで、階段を登った2階に
宿泊する部屋(写真右)があり、純和風で2LDと応接間と温泉風呂付。
広々とした各部屋のガス暖房はフル回転で迎える準備をしてくれていた。
何か歴史を感じるような応接間のソファーでちょっと一休みしてから、館内を探検。
旅館には展示室が数ヶ所も設けられていて、歴史上の貴重なものが多数展示されている。
例えば
箱根関所門柱の一部(写真左)が展示されていたりして目を引く。これは明治2年関所が廃止されたとき、当館7代松坂萬右ェ門が貰い受けたものと説明してある。
また中庭には、「
木戸孝充公西郷隆盛公 両雄会見之跡 明治2年8月記念石碑(写真右)もある。
ショーケースには、著名人の宿帳が多数展示されている。
例えば、日本で唯一つの乃木大将直筆の宿帳署名 と説明書きのある「
乃木希典 (明治)六十三年(写真左)、明治四十五年会計簿の説明で「公爵島津夫人(写真中)、明治三十二年外国宿泊名簿の説明で「国籍独逸 姓名ドリトル エレウイン ベルツ(写真右)
皇太子が学生時代毎年宿泊されたといい、その証拠ともいうべき記念写真が数枚展示されていた。
翌23日曇り空の早朝旅館の周囲を散策した。
門前の道を挟んだ反対側には小さな池がある。説明板によると、この池は
阿字ヶ池といい、第2次世界大戦中戦艦が火災にあって芦之湯に収容されていたドイツ軍兵士が、お礼に空襲に備えた防火用水池として掘ったものという。現在は周囲の景色にマッチしたとてもよい景観を呈しいる。
旅館の庭や周りはまさに紅葉が今が盛り。それにしても広い敷地で林もあり、旅館でも隣地とのその境界がわからないほど古くて広いとということ。
庭園と旅館の建物(写真左)旧門からの紅葉(写真左中)。その脇で真紅に染まった木(写真右中)
私の
泊まった棟(写真右)は広場に面しているが、外観も平凡な建物。この広場には離れの部屋があるがここに著名人が宿泊するのかもしれない。(離れのカメラは遠慮した)
旧門の近くの境界に、「この先 東光庵熊野権現旧跡標柱(写真左)が立っていて敷地の中へ細い道が続いている。道に沿って歩いて行くと旅館の建物が道で分断(写真中)されている。とするとこれが湯坂道で廊下が地下道になっていたところである。
なおも進むと一段高い所
(熊野神社境内)に突き当たりここで丁字路になる。ここにも「東光庵熊野権現旧跡標柱が立っている。
丁字路の左の階段を登ると鳥居(写真左)があり、その正面には平成13年に再建された東光庵と右に隣接して小さな熊野神社(写真中と右)がある。
熊野権現は、江戸時代 湯本、塔之澤、堂ヶ島、宮ノ下、底倉、木賀、芦之湯の箱根7湯と呼ばれた各温泉場に祭られていた。芦之湯の熊野権現社の建立時期は不明であるが、文化8年
(1811)に描かれた絵図「7湯枝折」には既に熊野権現社や東光庵の姿があるという。
熊野神社の前の広場の周囲は、東光庵に所縁のある古い歌碑が多数設置されている。
一部を紹介すると、文政2年
(1805)建立の四方山人(蜀山人)狂歌碑(写真左)、文化4(1805)年建立の賀茂真渕長歌碑(写真左中)、文化12年(1815)建立の芭蕉花上の句碑(写真右中)しばらくは 花のうへなる月夜哉」などで、小さな仏像群(写真右)もある。
元の丁字路に戻ると、左側に紅葉ときれいにマッチした薬師堂がある。この薬師堂は徳川家康の4女「徳姫」の霊堂として、京都知恩院に寄進されもの。その後三井家の大番頭益田鈍翁の別荘に移築され、さらに当館の所有となってここに設置されている由緒ある薬師堂である。
薬師堂の脇には塩ビ管が地面を延々と這っている細い道が遠くまで続いている。
数百m歩くと、正面に高い櫓(写真中)がたっている。ここが当旅館の源泉で、汲み上げた温泉のコンクリート貯槽(写真左)が櫓元にある。また右の(写真右)が流れているように見える白いものは、硫黄が析出し堆積しているのがそう見えるのであって決して水が流れているのではない。
ここの温泉の泉質は単純硫黄泉で時間とともに色が変化し最終的にはエメラルドグーりンになる。泉温は63.5℃でPH7.6。旅館では効能が損なわれるといけないということで水を混ぜないで自然冷却をしている。従って雨水で薄められるといけないので露天風呂はおいてないというのが旅館の人の説明であった。
  
 やはり、創業300年の歴史がある旅館だけあって、まさに史跡でいっぱいというところである。

さて朝食後、10時頃ゆっくりと旅館とサヨナラして芦之湯温泉から芦ノ湖東側にある箱根園の駒ケ岳山頂ロープウエー乗り場に向かった。箱根に来たからには、箱根神社の元宮のある駒ケ岳山頂は是非登りたいところ。
ロープウエー(往復1,050円)は芦ノ湖をバックに1,800mの区間を、約7分かけて登る。チラッと富士山が見えたりして結構景色を楽しめる時間であった。
山頂に着くと大陸からの寒波でとても冷たく身を切るようであったが、我慢して芦ノ湖の全景を展望した。左側の岸にある島の上の付け根が箱根関所で、下の付け根が元箱根となる。
山頂にある元宮神社はさらに5分ほど歩いて登ることになる。
神社の手前の境内には、白馬伝説を残す
馬降石、馬乗石(写真左)があり、ここに白馬が降りたとする名残という。岩肌には馬の形が刻まれ、またそのヒズミのあとと伝えられるくぼみには、どんな日照でも水が枯れたことがないといわれる。
箱根神社元宮(写真右)は、箱根神社の奥宮で、孝昭天皇の頃、聖占上人が山頂に神仙宮を祀り、修験の場所としたのが始まりという。
元宮神社の右側の傾斜地に、
小さな神社(写真右)があるが、これはなんだろう?
ちょっとビックリすることには、この山頂に大きなスケートセンターの建物があることで、シーズンオフなのかまたは廃業なのか不明であるが、全く営業している気配はなかった。それにしてもよくぞこんな高いところまで来てスケートをするな〜、ということである。
元宮神社の裏側には、巨大な礎石のようなものがごろごろしていて、周りを縄張りし立ち入り禁止にしているが、これはなんなんだろうか?昔の元宮神社跡と思うが説明がないので、不明。
元宮神社から辺りと見渡すと今乗ってきたロープウエーの山頂駅(写真左)ともうひとつケーブルカーの山頂駅(写真右が見える。
冷たい山頂からロープウエーで箱根園に戻り、桟橋(写真左)から「はこね丸(写真右)で関所跡までへ渡ったが、湖の舟は揺れが少ないのでとても助かる。
関所跡から、箱根旧街道1里塚の標柱のある旧東海道の杉並木を歩き、約20分かけて元箱根についた。
元箱根では、真っ先に目立つ箱根神社の第一鳥居(写真左)がある。近くで見るとつくずく巨大な鳥居だと思う。
その鳥居の手前の右側に成川美術館の案内(写真右)のある舗装された坂道を登ると成川美術館に行く。
坂道を登っていくと、いろとりどりな紅葉でいっぱいであった。(写真中、右)
坂道の途中にあるエレベータを上ったところには、樹齢2000年といわれる「
大王杉(写真左)がひときわ高く目立っている。
成川美術館に入らないで坂道を降りてくると、成川美術館案内の裏側に歩道に面してひっそりと「身替り地蔵」がある。宇治川の先陣争いで名高い梶原景李が、箱根を通りかかり何者かに襲われたとき、お地蔵さんが身替りになって助けてくれたという言い伝えがある。
第一鳥居から芦ノ湖沿いにメインストリートを約500m歩くと第二の鳥居(写真右)があり、さらに500mほど歩くと第三の鳥居(写真左)がある。ここから高い杉木が林立する参道を歩くことになる。
しばらく参道を歩いて行くと、右手の箱根神社への長い階段を登ることになり、途中の左側に曾我神社がある。富士の裾野で仇の工藤祐経を討った曾我兄弟の弟の五郎時致がこの寺で修行した縁で、この地に曾我神社が建立されている。
さらに階段を登って行くと、待望の箱根神社がある。箱根には何回か来ているが、意識して箱根神社を拝見するのははじめてであった。さすが関東総鎮守の威厳のある荘厳な建築であったが、丁度この時間結婚式後の記念写真撮影で拝殿は占領されてしまい、遠景の写真となってしまった。

 ここで箱根での遊びは終わり
箱根には数回来ているが、ホームページの取材という意識で見るとまた違う発見ができたし,また喜びもあった。そういう意味からすると、ホームページを作るということもこの人生悪くないなと思ったりして、横浜へ向かった。(少し大げさでしたでしょうか?)
              
                      湖上から見る箱根神社の鳥居
                湖岸から遠くに見る、箱根神社の第一鳥居
               
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