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|  | 三陸鉄道北リアス線 |  
| iー愛ロマンチカ |  | 
    
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            |  | 三陸鉄道は南リアス線(盛〜釜石)と北リアス線に分かれている。 南リアス線の陸中南部は、リアス式海岸の静かな入り江と岬の変化に富んだ海岸で、
 北リアス線陸中北部は、北上山地が断崖となっていっきに太平洋に落ち込む豪壮な海岸
 2005.9.7〜9の3日間で、北リアス線に乗り岩手県の三陸海岸を訪れた。
 北リアス線は岩手県宮古から青森県久慈までの、約71km単線で
 多くは無人駅となっている。
 海岸より内陸を走り、またトンネルが非常に多いので
 車窓からのすばらしい景色が多いとはいい難い。
 特に観光ガイドに乗っている鉄橋からの海岸の景色は、極限られている。
 歩いての観光スポットは、乗り継ぎを含めた交通の便が悪いので、事前の調査が必須。
 意外だったのは、天然温泉は小本の湯治場的な旅館1軒だけで、
 それ以外に北リアス沿線にはない、ということであった。
 訪れた最初の日は、猛烈な台風14号が東北に襲来する日で、
 一時はどうなるかと横浜を出発するとき心配ばかりしていた旅でもあった。
 
 
              
                
                  | 三陸海岸とは:明治維新で奥州が5ヶ国に分割されたとき、陸奥(青森〜岩手北部)・陸中(岩手県の大部分と秋田の一部)・陸前(岩手南部〜宮城)の三国を称して三陸と呼び、八戸市鮫崎から宮城県牡鹿半島までの海岸を三陸海岸という。 |  |  | 
    
      | 北リアス線駅 | 
    
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            | 宮古 | 一の渡 | 佐和根 | 田老 | 摂待 | 小本 | 島越 | 田野畑 | 普代 | 白井海岸 | 堀内 | 野田玉川 | 陸中野田 | 陸中宇部 | 久慈 |  
            | 浄土が浜 | . | . | 三王岩 | . | . | . | 北山崎 | . | . | . | えぼし岩・塩ベコ起道点 | . | 千草店 |  | 
    
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      | 2005.9.7東北新幹線はやて3号で東京駅を7:56に出発し、10:22に盛岡着。 在来線改札(写真左)を出、JR山田線4番ホームから10:48発快速リアス号で出発し、12:48宮古駅到着。
 宮古駅ホーム(写真右)には確かに三陸鉄道(北リアス線)の案内板があり、旅の第一歩を踏み出した。
 
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      | 本州最東端に位置する都市宮古の地名由来 宮古駅から西へ徒歩5分のところにある横山八幡神社は、”宮古”の地名の由来を伝える古社で、
 1011年(寛弘8)横山八幡神社の祠官が、阿波の鳴門の鳴動を神歌を作って鎮め、
 一条天皇から”都”と同じ呼び名の2字を賜ったのが、由来という。
 横山八幡宮は義経主従が参拝し宿泊したことでも知られている。
 
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      | このころは超ど級の台風14号が日本全国を騒がしていた時で、 この日は東北地方に最接近した日で宮古は雨、風の天候不良で、空は一面暗雲が漂っていた。
 いよいよ宮古駅から北東約3.5kmにある浄土ヶ浜へ出発。
 JR宮古駅(写真左)を出て正面の真直ぐな大通りを北へ100mほど歩き、
 岩手銀行の交差点(写真右)を右折してメインストリートの商店街を東に進む。
 商店街では大音量でなにやらの歌謡曲を流しているので、ついとても活気を感じさせるが
 よく見ると時間帯もあるかもしれないが殆ど人通りはない。
 
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      | メインストリートを約700m歩くと新川町歩道橋(写真中)のある交差点となり、 浄土ヶ浜へは直進しここから国道45号線(写真左)となる。
 歩道橋の右手には宮古市役所が、泰然として立つ。
 
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      | さらに150mほど歩き106号線との丁字路となり、右手の木の下に牧庵鞭牛和尚の立像がある。 牧庵鞭牛和尚は陸の孤島でいつも飢餓で苦しむこの地方を救うため、三陸沿岸の海浜道をはじめ
 宮古から盛岡までの往路(現106号線)の開削など、生涯で約400kmの道路に携わった偉人
 、
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      | 進むと右手には高さ約4mの防波堤塀が続き、 開いている門から外へ出ると閉伊川河口の宮古港が雨に煙る。
 なお防波堤は明治29年以来再三襲来した大津波対策で建設されたもの。
 
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      | その先の愛宕信号の丁字路(写真中)で、45号線は左折して歩道橋を潜り坂道を登る。 浄土ヶ浜へは直進し、二又に分かれるところでは右の道を進む。
 
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      | 時折雨、風が強くなり、特にすばらしい景色でもなし、ただひたすら前に進むだけ。 光岸地バス停を過ぎると、前方に「右折出崎埠頭、直進浄土ヶ浜」交通標識(写真中)あり、
 その先の宮古市魚市場から右折して、港をちょいと拝見したが漁船は多数で景色は曇り。
 元の道に戻り、左に郵便局、右にサイロを見ながら臨港通りを進む。
 
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      | 冷凍工場を過ぎ、右手の色彩感覚のある建物の港町交番前を進み、浄土ヶ浜の案内板から右折する。 道々歩いて左右方に港内が見え隠れする。
 
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      | やがて道は2つに分かれる(写真右)ので、左手の道を進む。 浄土ヶ浜道標(写真右中)を見ながら、浜へ行くというのに緑多い山道を登るという、この違和感。
 やがて道の頂上らしいところに「直進 浄土ヶ浜」案内板があり、進むと第一駐車場に出る。
 
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      | 第一駐車場広場の右側にある、「愛鳥の道」道標(写真右)に従い階段を登り切ると正面に 「左:舘ヶ崎展望台95m」「右:竜神崎展望台410m」道標(写真右中)が立っている。
 左折して進み(写真左中)、正面に小さな広場が現われる。
 竜神崎展望台へも行ったが途中細い尾根道で強風に会い、華奢な私の体ではとても持たないと諦め。
 
 
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      | 広場には全く人影のない地上7mの展望台がポツンと立っている。 そういえば市街地を離れてから全く人間に会っていない、さすが台風である。
 こわごわ展望台に登り、最高の景勝となるはずの左右の海と島と半島を急いで撮りまくった。
 早々に第一駐車場に戻る。
 やはり人影が皆無の観光地は異様であるが、悲しいことに私のスケジュールは変更不可。
 
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      | 駐車場をよく見ると、奧のほうに数台車があり同僚相憐れむ的に何となく安心する。 駐車場東側にある、ターミナルビルへ下る自動販売機脇の階段を降りると
 途中浄土ヶ浜道標と正面には(いと思いたい)海の色。
 
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      | 降りきると遊歩道(写真中)があり左折して進むと、 突然「ボー」という汽笛とともに遊覧船が突堤の外へ出て行くところ。
 こんな強風の中ご苦労なことと、船内を見ると人影がちらちらで、ご無事でと心で祈る。
 先に進み2つに分かれる道の、左手のトンネルを潜る。
 
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      | トンネルを過ぎると、浜千鳥が一羽悲し。 この辺りは浄土ヶ浜(中の浜)とのことであるが、テレビで見る景色とは何か違うような。
 さらに遊歩道を歩いてまたトンネルを潜る。
 
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      | 海は透明で岩盤が見事に見える遊歩道をさらに進む。 
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      | 前方が開けて眼前に白い浜辺と大小の連なる白い岩肌が展開する。 ここが正真正銘の浄土ヶ浜で、確かに写真などでみたような景観である。
 それにしても、快晴のもと紺碧の海であれば、この白さはいかばかりかと思う。
 
 
        
          もう2度と訪れることがないかも知れない、この白い浜を堪能して別れたのであった。
            | 浄土ヶ浜の地名由来:約300年前この地を発見した常安寺住職霊鏡和尚が「浄土もかくや」と 称えたことから、名づけられたと伝えられている。浜辺を浄土、外海を地獄に見立てている。
 浜の白い石は、石英粗面岩という岩石で岩が浪で侵食されそのかけらが浜に打ち上がられたもの。
 |  なおこの浜で久し振りに数人の人間たちに会うことができたことが、特記としてある。
 
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      | 白い岩肌の付け根のこんもりとした茂み(写真中)の下に 右側には、1960年5月24日チリ地震津波記念碑が建立
 左側には、黒と白のミニチュア軍船が浄土ヶ浜レストハウスをバックに置かれている。
 明治2年宮古湾の近代初の洋式海戦で使われた軍艦で、黒が幕府の回天、白が官軍の甲鉄である。
 
 
        
          
            | 回天:砲艦木造、全長72m、巾11m、速力12浬、1855年プロシャ建造(海戦で土方歳三が乗船) |  
            | 甲鉄:砲艦鉄船、全長65m、巾10m、速力8浬、1864年フランス建造、機関銃搭載 |  
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      | レストラン前の道路の入口の左側に「右:蛸ノ浜 0.4km」道標(写真左)があり、 その脇に「うるわしの 海のビロード 昆布らは 寂光のはまに 敷かれひかりぬ」
 と刻まれた宮沢賢治の歌碑が建立されている。
 レストランの屋外自販機でドリンクを購入しているとき突然猛烈な雨、風。
 リュックサックから出してあった地図などが吹き飛ばされびしょぬれで、泣いてしまう気持ち。
 蛸ノ浜へ行くため道標に従い西へ進むと照明のついている長いトンネルで、足元は水浸しで転倒注意。
 
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      | トンネルを出ると陸中海岸自然歩道の標識(写真右)が立っていて、このトンネルもその仲間? 左折して岩の間の道を進み、前方に高架道路とその下に歩道橋が見える。
 さらに進むと対岸に海水浴場が見えるので、多分あれが蛸ノ浜(写真左)のはず。(人がいないので聞けない)
 雨に濡れた海岸沿いの道を歩くと、落石注意の立札があり現に道には大小の岩石がゴロゴロ。
 恐ろしくなり、上を見ながらついには駆け足。
 
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      | 道の終の橋(写真左)を渡り、トンネルを潜ると平凡な砂浜がある。 多分ここが蛸ノ浜であろうが、この時期わざわざ訪ねることもなかったような気がした。
 
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      | 蛸ノ浜から別路で戻る途中、全く偶然、天の助けで目の前でタクシーが乗客を降ろしたではないか。 早速そのタクシーで三陸鉄道宮古駅始発16:12にジャストセーフ。
 何しろ、地方ではバスも電車も1時間に1本程度しかないので、時間はお金で買うしかない。
 三陸鉄道の宮古駅は、JR宮古駅に隣接してこちらの方が外観は立派に見えるくらい。
 その駅舎の左側に、三陸鉄道の開通記念碑が建立されている。
 いよいよ三陸鉄道北リアス線での旅が始まる。
 乗車した電車は、極普通の電車。
 テレビで見たお座敷電車は、地元の人もいつ走るか知らないという。
 
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      | 16:30雨の田老駅(宮古市)に到着。 ホームは高台にあり、階段を降りて出口に出ると、宿泊するグリンピアー田老の迎えの車が待っていた。
 なお宮古駅から田老駅までの情景描写がないのは、
 電車で地元の妙齢の奥様と隣合せになってしまい、話が弾んでそれどこれでなかったので悪しからず。
 
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      | 晴れた空の翌9月8日再度田老駅から出発して、歩いて三王岩まで。 駅前の県道177号線(写真中)を北東へ坂道を登ると、左手に田老駅のホームが見える。
 突き当たの丁字路で左折して国道45号線を進み、約500m行って
 「三王岩、真崎海岸」交通標識の先の、宮古信用金庫の交差点を右折する。
 
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      | 少し進むと正面に高さ10.65m,総延長2433mの日本一の防波堤が現われる。 登って見るとまさに天場はドイツなどの中世都市の城壁(写真左)を思わせるものがある。
 明治29年と昭和8の三陸大津波、昭和35年のチリ地震大津波と度重なる津波被害の対策として
 建設された防波堤で、他の三陸海岸でも多く造られている。
 
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      | 開いているゲートを潜って進むと道は丁字路となり、直進する。 観光船陸中丸乗船券を販売している物産センター前を通り、田老川にかかる前須賀橋に出る。
 田老川はサケマス増殖河川(写真右)として利用されている。
 
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      | 橋を渡ると広場(写真中)があり、左側にはちいさなみなと公園、 右には田老鉱山閉山後田老川を鮭増殖河川として成功させ、本州一の鮭そ上数となったことを記念した
 鮭のモニュメントが建立されている。
 
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      | 正面奧の岸壁は、田老と浄土ヶ浜間の観光船発着所で、たまたま陸中丸が着船している。 
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      | 橋のところに戻り今度は丁字路を右折して一直線の道を進み、右に入ると田老港がある。 
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      | 道の突き当たりは防波堤で、開いている門を潜り外へ出る。 防波堤の天場に登り眺めると、右に今来た一直線の道、左方に田老港が見える。
 
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      | 防波堤の外へ出て右折し、「陸中海岸国立公園三王」看板の立つ坂道を道なりに登って行く。 しばらくすると右側に展望台へ通じる細い道があり、展望台からは左下に逆光の三王岩が見える。
 
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      | さらに登り続けてると、右側にもう一つの展望台に通じる三王遊歩道(写真左)があるが、 台風によるものか歩道に木が倒れていたりしてしているため、ご遠慮申し上げた。
 その先の国民宿舎三王閣の駐車場から眼下の三王海岸に展開する三王岩は、とても感動的な美しさ。
 
 
        
          
            | 三王岩: 
 | 高さ50mの男岩、傍らの女岩、岩太鼓の形をした太鼓岩の3つを称して三王岩という。 男岩にある海食洞を潜り抜けると幸運が訪れるというが、海中洞をどうやってくぐる?
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      | ところで、ここの国民宿舎三王閣には全く人影がなく閉鎖中?昨夜宿泊した社会保険庁建設の グリンピア田老は盆が過ぎると客足がグンと少なくなるというが、どちらも採算が取れているのか心配。
 
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      | 北山崎断崖観光のため、田老駅発9:34で田野畑駅へ出発。 電車は宮古駅で乗った型式と同じもの。
 
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      | 北リアス線は、緑とトンネルと進入線複線駅の繰り返しが典型的なパターン。 鉄橋(写真中)は、2ヶ所だけ。
 ただ多くの区間が海岸から離れた険しい内陸を走るためか、
 やたらにトンネルが,それも長いトンネルが多くちょっと期待を裏切る景色となる。
 ちなみに1,000mを超すトンネルの数は最も長い6,532mのトンネルをはじめと9ヶ所もあり
 宮古〜久慈間の50%以上がトンネルといわれている。
 
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      | 9:58田野畑駅(田野畑村)に到着。 無人の改札を出ると大きな駅舎があり、その中のコーナーに切符売り場がある。
 建物の脇に宮沢賢治の発動汽船の一節を刻んだ碑があり、
 その裏側に「カンパネルラ・田野畑」駅名は宮沢賢治の銀河鉄道の主人公の友人カンパネルラのように
 弱いものを助け強いものに立ち向かう勇気ある人材が村から多く輩出するようにと願って
 宮沢賢治生誕百周年を記念して平成9年に命名した、と由来が刻まれている。
 
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      | 駅前発10:05のマイクロ乗合バスで、4人の乗客とともに北山崎へ出発。 左方に見える駅前の高架道路を通って駅より北へ約10km、バスで約20分、
 「陸中海岸国立公園 北山崎駐車場」看板の脇を通り、数軒ある土産屋の前を通って展望台へ向かう。
 
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      | 奧に進むと右側に「北山崎園地案内図」と「矢放い場と矢越岬(伝説)」看板が並んで立つ。 昔美しいアイヌ娘に恋をした若者が、決着をつけるため断崖の矢放い場で矢競べをしたとき
 1人の若者の矢が岬(矢越岬)を遠く越えて松島に突き刺さり、それが矢竹となり現存しているという伝説。
 看板の先は少し下りとなって第一展望台(写真中)となる。
 右手に北山崎の断崖がその荒々しい姿を現している。
 
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      | ちょっと戻り右側の脇道(写真左)から、階段を下り上りして第二展望台へ向かう。 道標では、第二展望台までは0.2km、363段、海岸までは0.4km、718段とある
 途中、右下へ降りる階段があり、「北浜へ3.5km」道標(写真右)が立っているが、ここは直進する。
 
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      | やがて前方が開けて、下の方に展望台が見える。 ここから見る北山崎の断崖は、第一展望台よりもその険しさがよくわかるが、
 快晴のもとであればさらに一層凄味があるのではないかと思う。
 
 
        
          
            | 北山崎断崖 | 陸中海岸随一の景勝地で、高さ200mの断崖絶壁がそそりたち、8kmに渡り続く。 6月には本州海岸では3ヶ所しか咲かないというシロバナシャクナゲが彩りを添える。
 海上からは、島越港から北山崎巡り観光船が出ている。
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      | 11時過ぎに観光を終わり帰りのバス時間を見ると、なんと次ぎは13:23。 ここで時間をつぶすようなところは見あたらず、
 来るバスで一緒だった東京からの一人旅の男と割り勘でタクシーを呼ぶことで合意し、計3600円。
 地方では、いつものことながら本当に交通機関の乗り継ぎが悪いが、これもいたし方がないと諦める。
 
 
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      | 田野畑駅の駅名(写真左)を改めて見ると、確に「たのはた」の上に「カンパネルラ」の文字がある。 12:45発の2輌編成電車が到着したが、今回もまた同じ型式電車。
 ちょっとビックリしたのは、車内販売の人(写真中)が品物を一杯取り揃えて乗り込んだこと。
 心配したとおり、車内の乗客は極少なく確か一つも売れなかったようである。
 乗り込んでそれ以上に驚いたのは、思いがけなく美人運転手がニッコリ笑顔で迎えてくれたこと。
 ワンマンカーでなくワンウーマンカーで、彼女がいるだけで車内は急に明るくなったような気がした。
 やはり運転手は女性に限る!?
 
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      | この区間は海岸に近いところもあり、海の景色を度々見ることができる。 
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      | 13:13野田玉川駅(野田村)に到着。乗客はなし、降客は私1人。 電車の前でカメラを構えていたら、美人運転手は私との別れを惜しむように中々出発せず、
 ようやくゆっくりと動いて彼女はガラス越しに私に軽く会釈をしていくのであった。
 (何々、単にカメラサービスのため発車を遅らした?総合的に判断しそれが最も合理的な考えかも知れないですね。)
 無人の改札を出て、小さな駅待合室を撮る。
 
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      | 駅前は全くの雑草広場で、人の気配もなく遠くに45号線沿いの住宅が見えるだけ。 西行屋敷跡を訪ねるため、駅に掲げてあった観光案内図従い歩いたがついに到達できなかった。
 以下は自力で再挑戦した記録。(写真は一部9日に撮影したもの)
 駅前の左手の道を歩き、途中からUターンで折り返して北リアス線のガードを潜って進む。
 音がするので、振り返ると北リアス線のこれまでの色彩と異なる電車が通り過ぎて行く。
 特別な電車だったのだろうか。
 
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      | 道なりに右へ右へと坂道を下りると、全く人影のない玉川漁港の前に来る。 西行屋敷跡へ行くにはここからが苦労するところで、案内もなく尋ねるべく人もいない。
 ここは漁港の前の右手の小高い丘に登る坂道が西行屋敷跡への入口で、
 登って行くと途中に「法面崩壊注意」立札がある。
 
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      | さらにちょっと登ると、右手に小さな広場がありここが西行屋敷跡で 奧に西行屋敷の標識、さらに左手前には古そうな西行屋敷跡石碑が立っている。
 西行がこの地の玉川海岸の美しい景色に魅せられて、しばし草庵を結んだところで、
 以前はもっと広い小高い丘であったが、地盤が崩落して小さくなってしまったという。
 
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      | 西行が魅せられたという玉川海岸を眺めると、今は玉川漁港が紺碧の海に映えている。 
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      | 坂道に戻り右側の玉川神社の前を通り、北リアス線の下を潜り国道45号線に出て、左折し南へ進む。 
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      | 45号線はゆるい登り坂となり頂上近くで、眼下の海原から突き出ている烏帽子岩が見える。 烏帽子岩は玉川海岸代表する景勝地であるが、海岸に道がないので断崖からしか見ることができない。
 さらに少し進むと、右手にサケの子供のイメージキャラクターのんちゃんが歓迎してくれる。
 宿泊する国民宿舎えぼし荘は、ここから右手の坂を登っていく。
 
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      | 45号線は今度は徐々に下り坂となり、下り切ったところにある安家川にかかる安家大橋を渡る。 左手には下安家漁港、右手には安家川と北リアス線の延長305mの鉄橋が見える。
 安家川は、原始河川の渓流釣りの川として全国的に有名で、
 またサケ・マスふ化場があり単河川ふ化能力は日本一。
 
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      | 橋を渡り右折して川の上流へ進む。 極近くで見る鉄橋の橋脚はとても太くてたくましく、大根足の比ではなかった。
 また海を背にして見る北リアス鉄橋は、よく観光パンフレットで見る姿で、多分ここがその場所のよう。
 
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      | 橋から右折して100mほどのところに、旧国道の下安家橋(写真右)がかかっている。 橋の中央あたりでカモメの写真を撮ろうとすると、自ら手摺のサケの像の上に移動してすまし顔。
 ううん、こやつ観光慣れしているな?
 その先の上流側に、サケのふ化用と思われる巨大な施設が見える。
 
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      | 今日は9月9日そして私の誕生日。 空はこれ以上の青さがないくらいに晴れ上がり、あたかも私を祝福してくれているようで・・・。
 野田玉川駅入口の標識が立っている国道45号線を、北へ向かい陸中野田駅まで歩く。
 緑多く全く人影がなく、たまに車が通る道路は、歩くのに最高の条件。
 仙台から341kmの標識をみながら、快適に歩き飛ばす。
 そのとき、突然私の脇に乗用車が近寄り「よかったらどうぞ乗って行きませんか」と声をかける中年の男。
 純白のシートカバーが汚れてしまうほどみすぼらしい旅姿の私に、わざわざ声をかけてくれた人。
 街道歩きをしていることを説明しご好意を有難くお断りしたが、こういう親切は初めての経験。
 これは誕生日のプレゼント?
 写真右はそのときの場所で、記念として大切にしたい。
 それにしても岩手というところは、美人だけでなく、中年の美男子も多い県だとつくづく思うのでした。
 
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      | 45号線は海岸沿いとなり、遠く前方に三崎半島が横たわりこれら向かう久慈はその向うにある。 米田川河口付近には、人工の海水浴場(写真右)がある。
 
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      | 野田玉川駅から3kmほど来ると、45号線の右側に綿津海神社の朱色の鳥居が見える。 鳥居の左には、「陸中海岸国立公園十府ヶ浦」碑があり、手入れされていない草ぼうぼうの境内には
 「みちのくのとふの菅こも七ふには君をねさせてみふに我ねん」の詠み人知らずの句碑がある。
 
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      | 「野田塩ベコの道起点」をみるために45号線を離れ神社の右側の坂道を進むと、 前方は古くから歌枕に登場する絵のような十府ヶ浦の美しい海岸となる。
 少し進むと右側に「十府ヶ浦」標識と「十府ヶ浦海浜の森案内図」板があり、そこから森へ入る。
 
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      | 海岸沿いの森はよく整備されている憩いの場で、 誰もいない緑の中を思い切り深呼吸をしてフィットンチットを満喫してしばらく歩く。
 やがてトムソーヤの冒険のように森の中の小屋が見えてくる、
 小屋の前には何故か池があり、これも絵になる風景。
 
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      | 池を右に迂回する道(写真左)を進み、海岸に通じる砂利道の丁字路に出て、左折する。 左側のグランド沿いに進むと角のところに説明板とともに「野田塩ベコの道起点」石碑がある。
 遠い昔から野田には多くの塩釜があり、
 野田で製塩された塩はベコ(牛)の背に乗せて、遠く北上山脈や奥羽山脈を越えて内陸に運ばれていた。
 塩釜から塩行商隊が出発するところを塩ベコの道というが、この地点を便宜的に起点としている。
 
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      | そのまま直進(写真左)し、防波堤となっている45号線の門扉を通り道なりに右折すると丁字路になる。 さらに右折して進むと45号線との丁字路(写真右)になり、左折して北西に進む。
 
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      | 道の右側にはコンクリート造の巨大な水門があり、反対側の方を見ると小川が細々と流れている。 津波対策で、このような小川にも巨大な水門を設置していて、道路を貫通する小川には全てある。
 三陸では度重なる津波対策として、コンクリートの防波堤を作るだけでなく、
 自然の地形を利用した山や、道路、線路などの高さも防波堤として活用している所が随所に見られる。
 やがて野田村役場の標識が見えると、急に住宅が多くなる。
 
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      | すると右手に陸中野田駅が併設されている道の駅のだのひときは目立つ建物がある。 野田塩ベコの像の前を通るとすぐ左側に久慈市の境界標識で、道の駅は境界に建設されている。
 
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      | 併設されている陸中野田駅(写真右)で、久慈駅までの切符を購入しホームへ出たが、 なんと地元の人たちは建物左端の道から改札を通らないで、直接ホームへ出ているではないか!
 確かに無人駅が主体の北リアス線であれば、特に改札を経なくてもよいわけで、納得。
 
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      | 陸中野田駅で10:25発電車を待っていると、またも同じ型式の電車。 同じようにな緑に囲まれた線路を走る。
 
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      | 2つ先の久慈駅に10:43に到着。 ホームには宝くじの配当で購入したという、お召し列車のような電車が停車していたが、
 こんな電車にも乗ってみたかった。
 階段の昇り口に、「不思議の国の北アリス」の大きな看板は、さすが旅を誘う。
 
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      | 駅舎を出ると、 地元出身の小田観蛍の歌碑(写真左)と「三陸鉄道北アリス線ここに始まる」記念碑。
 北アリス線の開通記念碑は、いろいろな駅に建立されていて開通をとても喜んでいることが伝ってくる。
 
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      | 駅の正面の公園では、おりから歓迎噴水の真っ最中。 JR八戸線久慈駅の八戸駅行電車本数は一日わずか9本だけで、12:54の以降は14:45、16:51となる。
 もう何がなんでも12:45の電車に乗ることに決め、その間の約2時間で市内観光することにした。
 昨夜国民宿舎えぼし荘で知り合った久慈出身の美人女子大生(4コマ温泉で紹介)から、
 市内は特別観光するようなところはないが、「千草」というラーメン屋のラーメンはすごく美味しい、
 という極秘情報を入手していたので早速その店へ。
 三陸鉄道宮古駅前の真直ぐな124号線を歩くと、右側にちょっと気になる可愛い建物。
 
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      | 突き当たるとみちのく銀行のところで281号線と斜めに合流(写真右)し、右折して西へ進む。 銀行から6,7軒目の右側に、間口の狭い「千草」の暖簾。
 中に入ると奥行きがあり、まだ11時過ぎたばかりなのにもう半数以上の席が埋まっている。
 なにしろ手造りラーメンで売り切れたら店を閉めるいう。
 醤油ラーメンを注文したら、確かに昔風の東北のラーメンの味。コクがあります。
 まだまだ時間があるので、市内を半周することにして、今来た281号線をさらに西へ進む。
 
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      | 岩手銀行のある次の交差点を右折して久慈川にかかる中の橋を渡る。 橋の上から左下には久慈川の流れ、右手方向には何やらの巨大な建物。
 
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      | 橋を渡り最初の交差点の交通標識の右下に「もぐらんぴあ」と書かれてもぐらの絵、これ何の意味? 信号を右折して進むと右側に先ほど橋の上から見た巨大な建物があり、市民体育館であった。
 それにしても、市の規模には関係がないかもしれないがなんと大きいことか。
 
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      | その先は八戸線を跨ぐ陸橋で、橋の上から下を見ると何とこれ単線、ちょっと先には平面クロスの踏切。 1時間に1本も通らない電車のためにこの大げさな陸橋は本当に必要だったのかと、つくずく疑問に思う。
 陸橋ができたため歩行者はわざわざ階段の上り下りをさせられる。
 陸橋などがないため、ただただじっと待っているだけの大都会の開かずの踏切で、
 時には死亡事故なども発生する交通実態と比較すると、何か割り切れない。
 
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      | 陸橋を下りて最初の信号を右折し、久慈川のこんどは川崎大橋を渡り最初の交差点に出る。 ここで左方には、これまた素晴らしい芸術的な建造物。
 アーバンホールという久慈市文化会館だという。
 
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      | 信号から右折して久慈駅の裏側へ向かうと、左側に市役所の建物(写真左)。 こじんまりとした平凡なその姿を見て、何故かほっとした気持ちになった。
 その先の交差点を直進(写真右)し駅裏に出て、地下道を潜る。
 
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      | 地下道を潜り抜けると駅前に出る。 JR久慈駅は三陸鉄道久慈駅に隣接していて、三陸鉄道より大きな駅舎。
 これで北リアス線の旅は終了となるが、久慈市内散策で市民感情や市の財政状態もわからずに
 ただ表面的な見方で、ろいろ批判めいたことを述べてしまったことに
 ちょっと後ろめたい気持ちになっている。
 部外者の素直な感想を述べさせてもらったいうことで、お許しいただければと思う。
 12:54久慈駅発、14:44八戸駅着。16:04八戸発東北新幹線はやて22号で東京へ。
 
 
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      | おわりに | 
    
      | 地元の人たちが北アリス線をとても大切にし、そして沿線の観光に力を入れていることがよく分った。 中でも野田村は特に観光PRに熱心で、あらゆる方法で観光スポットを紹介している。
 ただ残念なのは、余りにも地域が広くて歩く人には周りきれないということである。
 そういう中で、地元のNPO野田塩ベコの道のホームページの「地元学のすすめ」で、
 野田村のお宝を「お宝カード」というユニークな方法で隅々まで紹介している。
 このカードをみれば野田村の全てを知ったような気分になれるので、リンクで紹介したい。
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      | NPO野田塩ベコの道ホームページ クリックして下さい→
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