御前崎に立つ
iー愛ロマンチカ
                              
 小さい頃、まだテレビのない時代、ラジオから「御前崎では南南東の風、風力3・・・・」と
気象通報(当時このように称していたような気がするが)が流れてくるのをよく聞いた。
「御前崎」という上品な名前が大人になり過ぎた今でも心のどこかに懐かしく残っていたが、
実は御前崎が地図の上でどこにあるかなどはっきり知らなかった。
 2003.7.21にたまたまこの御前崎を訪れたが、こじんまりとして陽気のせいもあるかもしれないが
のんびりとした居心地のよい町のように思えた。
ただ残念なことに、ラジオから流れてきた「御前崎測候所」を訪れることはできなかったが、
ここは1932(昭和7)年から今も気象観測を行っている古い測候所であるとのこと。

御前崎町は、静岡県の最南端に突出する岬の先端に位置し、
東西6.9km、南北2.8km、面積12.2ku、
人口約12,000人の町。
山はなく、台地では温暖な気候を利用した農業が営まれている

   町章

町章は、御前崎の「お」と港にちなんだ「錨」を図案化したもの。

 この日は、天候不順な今夏でたまたますっきり晴れた一日であった。
静岡市から国道150号線を南下し、浜岡町で別れて左折して快いそよ風をいっぱい身に受けて海岸沿いを走ると御前崎町に入る。
案内図では町の境界には、「歓迎塔」があると記されている。とても大きな塔と思って必死に目を凝らしていたがなかなかそれらしきものが見当たらない。
「え!、今のはなんだ」と引き返してよくみると、これが「
歓迎塔(写真左)であった。中央分離帯にある目立たない塔であったが、一応探し当てたのでほっとして次へ。
この道路は「
御前崎ヤシの木通り(写真右)いい、南国情緒いっぱいのとてもきれいな道である。
    
しばらく行くと左手に「海鮮なぶら市場」塔(写真左)が現れた。そこには巨大なカツオが地上で日干しになっていて、奥には「海鮮なぶら市場(写真中)の平屋の建物がある。
正面入口から入るとすぐ右側に、「手作りアイスコーナー」があり、そのショーウインドー
(写真右)には沢山のアイスクリームが並べられていた。ちなみに書き記したメモでは、チョコチップ、いちご、イタリアンバニラ、しらす、ミルク、あずき、クリームチーズ、かぼちゃ、ラムレーズン、抹茶、ココア、新茶、茶わさび、ブルーベリーヨーグルトの14種類であった。このうち珍しさで「しらすアイスクリーム」を食べたが甘すぎることもなかったが、肝心のしらすの風味も淡白すぎて、さて何を食べているんだろうというのが感想でした。
入口の左手の建物は海遊館といい海産物が販売され、右手は食遊館でレストラン街となっている。
なお「なぶら」とは、カツオの群れ、を意味する御前崎の方言。

    
なぶら市場に隣接して、御前崎町の波と風をイメージした建物の「なぶら館(写真左)がある。ここは町の総合案内所で歴史や物産、観光施設などを案内している。その建物の前には「御前崎丸(写真右)が陸に上がっている。
    
なぶら館の海岸側にあるマリンパーク御前崎へ行くと、真っ直ぐな道の向うに白い高い塔(写真左)が見えるとてもきれいな風景がある。バーベキューをしている外国人グループの脇を通り、近づいて小高い丘から見ると貴婦人を思わせるような風力発電の白い塔の姿(写真右)があった。海は緑にして波頭が白く見える海水浴場にマッチした景観。
これは平成8年7月に運転を開始した「
しずおか風トピア御前崎風力発電施設」である。
施設概要:高さ12M、回転時の高さ29Mで、風速80Mまで耐えらる。全て自動センサーで風向きを感知し、常に風上の方向に制御され、風速3.5Mから発電し始める。発電々力量は一般家庭の消費電力量170軒分まで賄えるもの。
    
丘の先端にも風力発電の塔(写真左)があり、近づいてみると大きな3枚の羽根(写真右)がグルーングルーンと重い低い機械音を出してまわっていて迫力があった。
この地に風力発電を建設したということは、年間を通じて風がそれなりに強いということであろう。

    
また元の道路へ戻り海岸沿いに先に進み、岬の突き当たりの手前で右折して坂道を登る。その頂上付近はとてものどかで、後を振り返ると遠くに海が見え心地よい潮風を運んできてくれた。
   
頂上付近は十字路になっていて、右折すると鎌倉時代以前の創建と言われる駒形神社(写真左)がある。本殿の中には、千羽にもおよぶ鶴が乱舞している様子が雄大に描かれているという、縦1.25m、横3.25mの大きさの絵画(町指定文化財)(写真右)が掲げられている。ただ現物は色彩が剥がれたりしていてはっきり見えないところが多い。
   
十字路に戻り、そのまま直進するとすぐ目の前の畑の前方に、「猫塚(写真左)と白地に黒文字で書かれた看板が見える。数十m歩いてそこへ行くと、畑の片隅にコンクリート円柱上に猫の像のある墓(写真右)があった。
猫塚とは:昔旅僧に化け和尚を食い殺そうと寺に宿泊した犬ほどもある古ねずみを、海でおぼれているところを和尚に助けられた猫が一命をかけて退治し、和尚を守ったという伝説があり、その猫を祀った墓。

   
猫塚から住宅街の細い道を西へ約500mほど行くと、きれいに整備された公園(写真左)に出る。
公園に行くと、ここはねずみ塚公園といい、なんとそこには花がいっぱい飾られ手入れが行き届いた「
ねずみ塚(写真中)と刻まれた立派なねずみ墓があるではありませんか!そして遠くに海の見える景観(写真右)正に一等地。人間の墓でもこれほど大規模な墓はそう見当たらないでしょうね。
脇にある説明板を読むと、上述の猫塚で和尚を食い殺そうとし猫に傷つけられた古ねずみが、村人たちによって運ばれてここに捨てられた。その夜ねずみは改心して村長の夢枕に現れ海上の安全と大漁を約束したという。以来この地に海の守り神としてこのねずみを手厚く葬ったのがねずみ塚であるという。
猫塚ねずみ塚を比べて見て欲しい。まさに天と地ほどの差があると思いませんか。
命をかけて一人の人間を助けた猫と、人間を殺そうとした殺人者ねずみですよ!
夢枕の文言の実績がどうなのか不明であるが、なにもここまで差別をする必要はないと思う。
昔偉い坊さんが、善人より悪人が救われると説いたというが、まさにこの例がそのことなんであろうかと、どうも釈然としない。

   
そのねずみ塚の片隅に眺望台への道案内がある。
   
道案内に従い木々に囲まれた細い道を歩いて行くと、崖っぷちに眺望台(写真左)がある。そこからは白い波が打ち寄せる海岸(写真右)が見えた。海岸の茶褐色に見えるのは多分岩肌であろうか。
    
さらにそこから彫刻の小径(写真左を通って西へ歩いて行くと、「夕日と風が見えるん台展望台(写真中がありそこには潮騒の像がある。この展望台からは「日本の夕陽百選」に選ばれた美しい夕陽が眺められるという。ただこの日は昼間であったので夕陽は見れなかったが、左手の遠くに御前崎灯台(写真右)の美しい姿がみることができたので、これで充分満足であった。
    
もと来た道に戻り、ねずみ塚公園の前を通り今度は東へ歩いて行くと、御前崎灯台近くの斜面にはけなげにも赤と黄色のカンナの花が咲いていた。
   
カンナの花を眼下に見ながら歩くと、そこは御前崎灯台の入口となる。入口の右壁には参観時間などの案内板(写真左があったが、ここに灯台参観寄付金大人150円とある。これまでいろいろな灯台に登ったことがあるがそのたびに払うお金が寄付金だったとはいままで知らなかった。
敷地の一番奥に
10明治7年に建設された御前崎灯台(地上からの高さ24.27m)(写真右)があったが、遠くから見たスマートな姿とは少し違っていて、ちょっと太めでどっしりとした感じであった。ただ私はこういうタイプの女性が好きですからこの灯台はとても気に入りました。
   
灯台の階段(写真左はどこも同じようにできているようであるが、ここの階段は他の灯台と比べて少し明るくできているような感じがした。最上階まで83の階段を登りきるとそこには、明治中ごろから昭和20年代末まで、モーターによる電動駆動装置が設置されるまでの間、レンズを回転させていた重力式の「巨大な回転機械(写真右)がそびえていてびっくりさせられる。当時これを作動させる数十kgの重さの分銅を一晩で1,2回ここへ上がってきて巻き上げたいたというが、大変な重労働であったということである。
   
灯台の頂上の踊場から見た、左、中、右を向いたときの海岸の風景。
   
灯台敷地の門を出るとすぐ前に、現灯台の前身の燈明堂設置360年を記念して復元された11見尾火燈明堂がある。この燈明堂は1635年から約240年間御前崎沖を航行する船の安全を見守ってきたという。ただ中を覗いたらゴミ捨て場となっていて汚い室内であった。観光案内図にも掲載している建物であれば多少はきれいにしておいた方がよいであろう。
   
戻って灯台の門の左側の坂道を下ると、左に「御前崎遠州灘県立自然公園」の立札があり、そこから眺める景色はまた格別であった。
   
さらに下っていくと、「12地球が丸く見えるん台展望台(写真左)があり、ここからの眺めると丸い地球がよくわかるとのこと。ただし私には心が曲がっているせいかどうしても丸く見ることができなかった。
展望台にある円柱の銅版
(写真右)には、現在地が「静岡県最南端の岬で北緯34度35分33秒、東経138度13分44秒であることの表示と羅針盤」が刻まれている。
   
ここから上を見上げると先ほど上った灯台のふくよかな姿が見えた。本当は下から覗き込むようなはしたないことをしてはいけないんでしょうね。
   
灯台から引き返し、岬の中央を走る道路を西へ行くと、間もなく右手の少し入ったところに13海福寺(写真左)がある。この寺には桓武天皇の時代に弘法大師が唐の国へ渡るとき航海の安全を祈願して刻んだと伝えられている十一面観音立像の秘仏が保存されている。この本堂の前には樹齢約700年で高さ14m幹周り約4mの大きないちょうの木(写真右)がある。この木の枝幹よりき気根が垂れ下がり乳がたれるということから母乳の願掛け木としても地元では有名である
   。
もとの道へ戻りさらに西へ向かうと、左側に14白羽神社がある。広い境内の奥には約500年前に創建された入母屋造りの本殿がある。本殿の前には「静岡県神社廰御神木審査委員会の議を経て御神木に指定します 平成元年三月一日 静岡県神社廰 印」というありがたい御神木指定証(写真右)が掲示されている、正真正銘の御神木がある。しかしどのようにして判定したかわからないが、これが神木ですと人間が証明することがどんな意味があるんだろうか。わけのわからない木を神木と言われ、不思議と神秘的な気持ちになって畏れを抱いてあがめ奉るというのが、自然だと思うが如何であろうか。
   
さらに進んで行くと、右手に珍しい名前の15増舟寺がある。ここにある青銅製地蔵菩薩尊像の背面には「天文二年丁巳六月吉日 江戸之住西村和泉守六十六部供養 遠江国蓁原郡白羽村 願主 安西与左衛門」と刻まれている。この地蔵尊は増船寺壇徒の安西与左衛門が、諸国巡拝のある夜夢の中に後光をいただいて地蔵菩薩が現れたことから、江戸の仏師西村和泉守に地蔵菩薩像の製作を依頼して寄進したものと伝えられている。
   
次に案内図を頼りに紅雲寺を探しまわったがどうしても見つけることができず、畑仕事をしていた結構な年配の女性に尋ねたところ方言での回答。この方言がまたまったく分らず最後は身振り手振りの問答を交えてようやく前方約100mほどの木立に隠れたところにあることが判明した。
寺にたどり着き一段高い境内には、堂々とした姿のタブノキ(写真左)がでんと構えていた。樹齢は不詳ということであるが、長年風雨に耐えてきた歴史の生き証人であろう。
その木の裏にある民家風の建物が多分
16紅雲寺本堂であろう。中からは檀家の人たちと思われるお経の合唱が聞こえて来た。
   

 さて、この紅雲寺を最後に御前崎町の観光は終了し、朝きた国道150号線で静岡に戻った。
あたかも梅雨の晴れ間の一日のような快晴でかつほかほか陽気の半日を、
快い潮風に吹かれてのんびり過ごすことができ感謝した。
御前崎の観光は岬の先端に集中しているので,のんびり歩いても2時間もあれば充分であるので、
温暖な気候とあいまって手ごろな観光地であると思う。
ところで「御前崎の名の由来は、御厩崎
(うまやざき)が転化したという説と、
駒形神社の御前にあるところから御前崎になったという2つの説があるとのこと。
           
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