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iー愛ロマンチカ |
北のはずれ
龍飛岬 |
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青森県東津軽郡三廐村龍飛
三廐村役場さんから地名の謂れなどについて
多々ご教示いただきました。
厚くお礼申し上げます。
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津軽海峡冬景色: 歌 石川さゆり
冬景色になる前に行かなければと急に思い立ち、
2004.10.1 上野発東北新幹線7:02はやて1号で
津軽半島の北のはずれ龍飛岬へ向かった。
八戸駅と蟹田駅でそれぞれ乗換えて、
津軽半島の三廐駅に12:34に到着した。
天気良好で駅から約14kmの龍飛崎までの海岸沿いの道を
景色を楽しみながら約3時間半かけて歩いた。
翌日、曇天で冷たい風の吹く龍飛崎から、
津軽海峡と北海道の山々をいつまでも眺めていた。
龍飛崎の観光場所はいずれもよく整備されていて、
心ゆくまで気持ちよい観光ができた。 |
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龍飛崎と龍飛岬:現地では前者の文字が多く表示されていたが、後者の文字もあった。
三廐村役場さんのコメントでは、「龍飛岬」は「龍飛崎」を観光的要素で呼ぶときに使用しているとのこと。
このHPタイトルは、歌に魅せられて訪れたので「岬」とした。 |
三廐の呼び方:JRの駅名は みんまやで、地名は みうまやと 呼ぶという。 |
義経伝説:源頼朝の衣川攻めから逃げ延びた源義経が、この地から蝦夷(北海道)へ渡ったという伝説があり、義経寺もある。ちなみに「龍飛」の名は、義経が竜となって北へ飛んでいったという言い伝えに由来している、ともいわれている。 |
青函トンネル:着工から24年間かかり1988年に完成した、53.85kmの世界最長トンネル。JR津軽海峡線は52.57kmの世界一長い継ぎ目なしレールを使用。
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東京からJR津軽線三廐駅へ |
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2004.10.1 上野発7:02はやて1号に乗り終点八戸駅に10:04に到着。
八戸駅からは東北本線10:16特急スーパー白鳥1号に乗換え、青森駅経由で蟹田駅に11:42に到着。
青森駅では青函連絡船当時の名残で、電車の進行の向きを変えるために小停車。
蟹田駅では駅舎の駅名表示板(写真右中)に、ちゃんと赤いカニの絵が描かれていた。
蟹田駅からは津軽線11:54発電車(写真右)に乗換え、最終目的の三廐駅に12:34に到着。
上野からあっという間の到着で、ビールを充分飲む時間さえなかったような気がする。
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駅舎の時刻掲示板を見ると、上下線とも1日わずか5本のみ。心してスケジュールを守ることにした。
改札もなく小さな駅舎を出ると、村営バスがちゃんと待機していた。
この日は前日の台風21号の後遺症もなく、晴天で暖かくて風なし。
龍飛岬までの距離を聞くと、約14kmとのこと。いつものごとく歩くことにし折角のバスも用なし。
後で知ったことであるが、バスの料金はこの日から200円→300円に値上げしたばかりとのこと。
やはり物価は、知らないところで確実に値上がりしているのだとつくづく思った。
駅前の広っぱにただ一軒ある食堂でまずは昼食をとったが、味も悪くなく私好みでグッド。
歩く人は,岬までの道中食堂はあることはあるが遠いし,ここでとるのがベストと思う。 |
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三廐駅から帯島へ |
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食事後、駅前の道をまっすぐ三廐湾に向かうと、ちゃんと交通標識が龍飛崎の方向を教えてくれる。
左折してしばらく一般道を歩いていると、右手に国道339号線の橋が見える。
そのまま歩いてようやく339号線に出、北西へ向かって歩き続ける。
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左手には青森県を代表する画家の作品を展示している、津軽海峡三廐美術館の案内看板。
その先の右側には三廐村民体育館、さらに進むとシャレた三廐郵便局の建物がある。
以降もいろいろな公共の建物が現われるが、形はユニークでとてもカラフルなものが多く楽しい。
村として公共建物の景観には、特別な配慮をしているように見える。
やがて339号線は2つにわかれ、左は国道280号線で右の海岸沿いが国道339号線となる。
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村役場で今夜の宿泊先を紹介してもらうため、280号線に進んだ。
分岐点からちょっと行くと、右奥に木造2階建の村役場があった。
入口には木造の両開きドアーがあり、老朽のためかちょっと傾いていて開閉が悪そう。
中に入ると板の床で、室内も照明を節約しているようであった。
今の世の中、役所の建物と言えばどこでも豪華でエアコン完備、公務員天国と決まっていると思っていた。
多分戦前のものであろう、この木造建物を大切に使っている村の皆さんにとても頭が下がりました。
龍飛崎までの村の観光施設は、どこもきれいに整備されていたが
観光資源への投資を第一に考え、村役場の手入れは後回しにしているのでしょうか。
役場では数件の宿泊先を紹介していただき、さらに観光資料と時刻表を紙袋に入れていただいた。
ご親切さに感謝いたします。
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339号線に戻り歩いて行くと、左の広場に「松崎街道終点之碑」石碑(写真左)が立っている。
その後の小山の上には小さな義経寺が見える。
義経寺の階段の登り口には、多数の地蔵さまがガラス張りのお堂におさめられ、
また階段を上ったところの右側には、義経寺本山からの金龍水(写真右中)が流れ落ちている。
階段を登っていくと中ほどに山門(写真右)があり、義経寺に進む。
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義経寺の前の厩石公園には、廐石(まやいし)(写真中)と呼ばれる大きな岩がある。
荒れ狂う津軽海峡に阻まれた義経が、岩に座り観音様に三日三晩祈り続けたところ、
海は静まり、岩の洞穴に3頭の竜馬がつながれていて、義経一行はその竜馬に乗って海を渡ったという。
以来この岩を廐石、この地を三廐と呼ぶようになった。
339号線沿いの厩石の前には、静御前と義経の龍神塔が建てられている。
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(義経海浜公園) |
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さらに歩いて行くと、右側に「義経海浜公園」と書かれた大きな白い塔が現われる。
入口には築山と展望台(写真左中)。
海には甲岩(かぶといわ)がその美しい姿を、さらに一層美しく見せている。
この辺りは危険な岩場が多く、無事渡れるようにと義経が大切にしていた甲を海に沈め海神に捧げた。
いつの日かこんもりとした甲に似た岩を、甲岩とよぶようになった。
このシャレた建物は、監視塔(更衣室、シャワー室、トイレ)で、
公園は海水浴場やキャンプ場としても利用できるようになっている。
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まるで南洋の海岸のような通り(写真左)、三内丸山遺跡のようなやぐら、石燈籠のある散策路。
ユニークな建物のトイレ。
風光明媚な自然とカラフルな建物、そしてマッチしたレイアウトとよく手入れされた公園は、
とてもさわやかで気持ちよく感じた。 |
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339号線(写真左)に戻り、真っ青な空の下を歩く。
風もなくほどよい暖かさは、日ごろの行いの良さのせいかとつくづく自分に感謝した。
算用師川にかかる算用師橋上から上流を見ると、逆光を浴びる流れ、下流は湾に広がっていく流れ。
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そこから40分ほど歩いて釜野沢橋を渡ると、右手に防波堤から遠く海を眺めている男が二人。
何を思い何を語っているんでしょうか。何となく絵になる姿でした。
道路の左側には神社の鳥居が時々現われるが、全て神社は階段の山の上にある。
339号線の通りは、山と海に挟まれた極くせまいスペースで建物は山裾一杯に建てられている。
神社も必然的に山の上とならざると得ないのであろう。
山裾を無理やり削りとった道路が続く。
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宇鉄漁港の向うには、白い船。
「風の岬龍飛への旅路」の塔が現われ、ここでは観光客にゆったりとした公的な駐車場を提供している。
ここにもトイレがキチンと設備されている。
以降も観光場所に必ずトイレが設置されていて、安心して観光できる龍飛岬となっている。
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岬も近くなり、湾の遠方にトンネルの入口が見えてくる。
近づくと2つのトンネル(写真左中)が現われ、右側は旧トンネのようで小さなトンネルである。
左側は鐇泊トンネルの銘板があり、出口向こうに小さな岩が見える。
トンネルを過ぎると、またトンネルがありその向うにトンネルが見える。ここは親子洞門と呼ばれている。
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339号線は、ずーっと崖と海岸の狭い間を走り続ける。
その時たった一羽のカモメ。何を思うかこのカモメ。
でも一羽ぽっちは寂しいですよね。人間の私でもよくわかります。
歩いて行くと、龍飛岬(ここでは岬とあった)まであと1kmの交通標識。 |
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帯島付近 |
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ようやく帯島近くにたどり着いた。
左側の道端には小さな地蔵尊堂がひっそりと建っている。
左上方の山を見ると明日訪れる予定の、龍飛埼灯台が逆光にその姿を現していた。
さらに歩いて行くと右側に、い竜を張付けた龍飛岬郵便局。
そして右手の龍飛漁港の前方には、今夜宿泊する民宿津軽海峡亭の白い建物が、
岩と岩の間にくっきりと見えている。
津軽国定公園の中の帯島だけあって中々の景観である。
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左側に有名な階段国道が現われ、国道339号線は階段道となる。
階段国道は明日登ることにして、国道でなくなったまっすぐな道を進むと
すぐ左に「太宰碑公園 100m先」の大きな案内板が立っている。
やがて道は防波堤で行き止まりとなり、そこに小さな太宰碑公園がある。
魚のように見える太宰治記念碑には、太宰の顔写真とともに
太宰の小説「津軽」の一節「ここは本州の袋小路だ。 ・・・・・・」の文言が刻まれている。
太宰も三廐から小雨の中3時間以上もかけて歩いて、ここにたどりついたという。
確かこの周辺には太宰治が宿泊したという、奥谷旅館があるはずと探したが見当たらなかった。
太宰治は青森県北津軽郡金木村(現金木町)出身。
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さてここは確かに津軽半島の北のはずれ龍飛崎であるが、
太宰碑(○印)のある防波堤の先が、半島のさらなる先端(写真左)であるということがわかった。
落石危険のためこの先通行禁止の標識から、ちょっとだけ立ち入らせてもらい
正真正銘の先端と思われる断崖をデジカメにおさめた。
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時は16:15。
今日の予定を終了して、太宰碑の前の大規模な駐車場を斜めに横切り帯島への橋(写真左)を渡った。
島と言っても、大き岩山が2つと複数の小さな岩山でできている島で、緑はなし。
道なりに辿りついた民宿津軽海峡亭の玄関には、
豊満で美人の女将さんが早速のお出迎え?で、感激。
え!女将さんが何故ビックリした顔をしているのかって!?
それはあまりにもいい男の来客だったので、思わずびっくりしたからですよ。
この民宿の建物の右側の奥を見ると、何故か岩の割れ目からロープが垂れ下がっている.
女将さんからは、決して見てはいけませんと言われたような気がしたが、
そこは男の悲しさ、なお見たさ一心に必死にロープにしがみついて割れ目の頂上に登りつめた。
そこから見たものは、崖の間に荒れ狂う津軽海峡の荒い息であった。
なお帯島の名前は、廐石で竜馬を得た義経がここで帯を締めなおしたという、言い伝えからきている。
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ようやく待望の夕食。
実は道中電話で予約したのであるが、オール込みで1泊2食付6500円という。
安すぎるので、高くなってもよいから海の幸をもう2,3品つけて欲しいと頼んだら、
6500円でも「海の幸をふんだんに使った料理で食べきれないほど」との、女将さんのご回答。
今の今まで疑心暗鬼でいたのですが、出された料理を見て納得し大満足。
女将さんの了解を得て、料理をパチリ。
「メニュー:刺身はカンパチ、タイ、イカ、マグロ。てんぷらはアナゴ、エビ、ホタテ。焼き魚はキンキ。
ズワイガニ。ウニ。アワビ。イクラ。サケの氷頭。ナメコと大根のあえもの。ウメクラゲ。ワカメのあえもの。
たらの塩煮汁。デザートはオレンジとブドウ。」
夕食を堪能したし、夜の町を探索にと出かけたら全くの闇の中。海峡亭の明かりだけがイヤに目立つ。
写真は左から順に夜の、海峡亭、龍飛漁港、町並。
女将さんの話では、この辺では夜の8時には皆な寝てしまうとのこと。
そんなに早く寝て何をするのかとつい勘ぐったが、朝3時には起きるとのこと。
やはり漁港の町の人たちである。
何を変に勘ぐったのか、恥ずかしく思う。 |
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階段国道〜灯台〜青函トンネル記念館 |
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今日は2004.10.2。天候は昨日と一変して曇りちょっぴり小雨。風それなりに強く、冷たい
やはり龍飛岬はこういう天候でないと、龍飛岬でないと思う。
このような天候を与えてくれた、日ごろの行いの良い自分に再度感謝した。
帯島の橋を渡り、昨日来た道を戻り約100m歩くと右側に案内板とともに、階段国道の入口がある。
車の通れない日本でただ一つの階段国道ということで有名で、
1974年に「現地を確認しないで関係者が図面上のみで国道に指定した」結果だという。
日本国民を代表する優秀な官僚が、そんな単純なあやまちをおかすはずがない。
1974年といえば、青函トンネルの工事着工3年後ということを併せて考えると、
建設基地となっていた娯楽施設もないこの龍飛岬に働く多数の人々へのせめてのプレゼントか、
または郷土愛に燃える担当者が、将来の観光資源として思いやったか
いずれにしても意識的に階段を指定したのではないかと思う。(私の独断と偏見であるが)
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階段国道339号線:1974年国道指定。全長388.2m。階段数362段。標高差約70m。 |
(階段国道339号線) |
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階段入口から入り右折、それから左折、左折、左折と繰り返して登ると、今来た道路の入口が見える。
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順次登っていくと、折れ曲がるごとにその階段の表情が微妙に変化していることに気がつく。
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中腹を過ぎた頃、右手に339号線標識と龍飛集会所の建物が現われる。
ここは展望台にもなっていて、遥か彼方の帯島を眺める。
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階段を登りきると広場になっていて、階段国道の立看板と案内板がある。
広場の奥に龍飛崎への案内板がある。
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案内に従い階段を登っていくと、今度は階段村道の標識があり、ここは村営階段ということ。
きれいに整備された階段を左へ、左へと登ると、左手高台に建物が見える。
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坂道を登っていくと、その建物は無料休憩所で、1階にゆったりしてトイレが設置されている。
建物に隣接して津軽海峡を背景にした龍飛岬の標柱、
その左には幕末の思想家で軍事上の要所の津軽海峡を臨むためこの地を訪れた
吉田松陰の記念ブロンズ碑が建立されている。
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さらに左奥には、竜を飾りにした龍見橋があり、渡るとそこは展望広場となっている。
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広場には、左から順に佐藤佐太郎歌碑、川上三太郎句碑、大町桂月文芸碑が建立されている。
また「津軽要塞重砲兵聯隊竜飛砲台跡」と刻まれた重々しい石柱(右中)も立っている。
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坂道に戻ってきて前方を見やると、大きな駐車場の向うに灯台がかすかに見え、
その向うに津軽海峡、そして遥か彼方に北海道の大陸が見えるような気がした。
駐車場へ降りていくと3軒の土産屋が軒を並べている。
この朝の時間、曇天で風強く冷たく、観光客は数名。
そんなとき、向かって一番右の土産屋から、色艶のあるとてもやさしい声で、こちらを手招きする。
これだからいい男はつらいと思いつつ、念のため後ろを振り向いたが誰もいない。
やはり自分かと合点して近づくと、なんと青森美人だけが3人もいるではないか。
これはしめたと、慌てて缶ビールと七味ニンニクを3本買って、おもむろに美人3人とご対面した。
ビックリしたことに、真ん中の美人は昨夜宿泊した海峡亭のお嬢さんで
夕食時何度もお世話になったひと。
なにやら妖しい紅い紐で結ばれているようで・・・、これは私だけの気持ちですが・・・。
店を出るときは、ビールのつまみを沢山いただいきました、とさ。
駐車場の片隅には、海岸へ下りる散策道があったが、今日の天候は不適で遠慮した。
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龍飛崎展望台への案内に従い、坂道を登っていくと左側敷地に灯台が見える。
灯台の敷地のはずれから、ブロック舗装された坂道を登ると展望台広場がある。
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正面には、旧海軍監視所跡のトーチカ。
左には「津軽半島龍飛崎」の標柱、右には国道交通省国土地理院の水準点が設置されている。
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冬景色を思わせるようなどんより曇った空の下、四方を見渡せば
左下方には津軽海峡の荒波に真っ白にさらされている海岸。
ここは竜飛潮流といって、日本3大潮流の一つで14km/hもあるとても流れが速いところだという。
左前方は津軽海峡で白い航跡を引きずっていく船舶が2つと、北海道の山々。
正面の半島最先端からも津軽海峡と北海道が見える。
多分この先端の下の断崖が、昨日カメラで撮った太宰碑の先の断崖だと思う。
右下方には、帯島と龍飛漁港。
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後を振り向くと、
左下方に階段国道につながる339号線と津軽海峡冬景色歌謡記念碑やホテルの建物、
正面には、青函トンネル工事で本州の基地となった山々に林立する、白い風力発電設備、
そして右下方には、先ほど通ってきたとても上品な白い龍飛埼灯台。 |
龍飛埼灯台:昭和7年7月1日に初点灯。高さ13m。日本灯台50選の一つ。 |
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展望広場のわずかな法面にへばりつくように無造作に咲いていた、小さな花々。
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展望台から階段を下りて、先ほど見た階段国道につながる339号線を歩くと
龍飛灯台をバックに津軽海峡冬景色歌謡記念碑が設置されている。(歌詞は最後に紹介)
さらに339号線を下っていくと、右手の山肌に「青函トンネル本州方基地龍飛」の文字が見えてくる。
右折して入ると広い駐車場の前の、「道の駅 みんまや龍飛岬」標識の立っている広場に、
青函トンネル工事で使用した機械類が野ざらしで展示されている。
さらにその右手に、白い建物の青函トンネル記念館が見える。
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(青函トンネル記念館) |
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記念館には、体験坑道乗車券(900円)と入館券(300円)を購入して入館した。
青函トンネル関係の技術的に貴重な資料が多数展示されていて、一見の価値ありと思う。
その中で、実物大のトンネルの大きな赤い鋼製リング(写真右)が展示されていたのが、興味深かった。
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(体験坑道) |
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往復45分のコースで、時間に余裕のある人には是非勧めたい。
館内に設置された青函トンネル記念駅(写真左)から、
延長778mの斜坑ケーブルで、海面下140mの体験坑道駅(写真右)まで降りて行く。
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実際に使用した作業坑道で、各種の使用した機械類がおいてあり、またテープで順次説明がある。
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坑道の行き止まりの柵があるこの場所の前方は、風門と呼ばれる扉で仕切られている。
扉の向う側約400m地点にJR津軽海峡線の竜飛海底駅があり、
非常時この風門を開いて、乗客を脱出させる機能を持っている。
天井には、消火線を初めいろいろな配管がダブルで取り付けられている。
ここで体験坑道も終了して、地上の記念館に戻ることになる。
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思い立って上野駅を出発した、その龍飛岬の旅もここで終わることになった。
これから、記念館前12:01分発の村営バスで三廐駅に向かう。
横浜の我家に着くのは、21時を過ぎてしまうであろう。
帰りは遠いな〜。 |
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