相模国藤沢市
藤沢宿
から平塚宿へ
江戸日本橋から藤沢宿まで48.9km、藤沢宿〜平塚宿間13.7km
この区間は2002.2.11日に戸塚宿に引き続き藤沢宿も歩いたが
小田急藤沢本町駅で日が暮れたため、
翌12日に再度藤沢本町駅から歩き続けた。
天候はよくいわば歩き日和というべきだった。
藤沢宿と平塚宿の間に茅ヶ崎市があるが、ここでは紙面の関係で両宿を
茅ヶ崎市のほぼ中央のJR茅ヶ崎駅前で分けて掲載した。
藤沢市→茅ヶ崎市JR茅ヶ崎駅前

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藤沢宿藤沢は鎌倉時代からの時宗総本山、遊行寺の門前町として栄え、江戸時代藤沢宿ができてさらに大きく発展したところである。また近くの江ノ島弁財天参拝でも賑わい幕末には70件以上もの旅籠が立並んでいたという。
 
本陣:1、脇本陣:1、旅籠:45、人口:4,089人
 国道30号線と合流して西南に向かい、横浜市戸塚区から藤沢市に入ったとたん、横浜側にない道路の両側のブロック舗装歩道と松並木(写真左:右端上には藤沢市の看板が見える)が出現する。そして道端には旧東海道松並木跡碑(写真右)がある。
安藤広重の東海道53次に描かれた松並木は1960年頃から、全国各地に猛威を振るった松喰虫の被害で大半が枯れてしまい、そのためまた整備して松並木を復旧させたという。

  
 国道30号線を1.5kmほど行き遊行寺交差点信号から右手入ったところに時宗の総本山の遊行寺(写真左)がある。藤沢宿は遊行寺の門前町として栄えたきた。正式には清浄光寺であるが、法灯を継ぐものが歴代全国を遊行(修行)することをならいとしたため、寺の名前も「遊行寺」と呼ばれるようになった。時宗は鎌倉時代の一遍上人(写真右)が開いた宗派で、南無阿弥陀仏のお札を配って各地を回り、遊行された念仏の宗門。この遊行寺は正中2年(1325)遊行4代呑海(どんかい)上人によって開かれたもの。宝物としては、国宝「一遍聖絵」、国重要文化財「時宗過去帳」がある。確かに境内は広くまた本堂もどっしりと構えた威厳を感じさせる寺であった。
   
 また境内には日本三黒門の一つ総門樹齢500年余の大銀杏、国指定文化財の藤沢敵御方供養塔小栗判官と照手姫の墓など見るべきものが多数ある。
藤沢敵御方供養塔
(応永25年建):応永23年(1416)から始まった上杉禅秀の乱で遊行寺15代尊恵上人が敵味方の区別なく負傷者を収容して治療し、戦死者を手厚く弔った。この碑はその時の敵味方双方の戦死者の供養碑である。
 小栗判官・照手姫墓:応永30年
(1423)足利持氏に攻められて落城して逃げる常陸小栗城主小栗判官が一子助重と郎党を伴い三河へ落ち延びる途中.、藤沢の横山大膳の家に一泊した。ところが大膳の悪計で郎党が殺されてしまったが、判官は照手姫の機転で遊行寺に逃げ込んで無事であった。後に判官はこの照手姫を妾とし、判官没後助重が判官と郎党の墓をこの寺に築いた。また照手姫は出家して東門の右手から入る長生庵(写真)に住み一同の菩提を弔ったという。
   
 遊行寺から東海道に出ると境川にかかる手すりの赤いきれいな遊行寺橋(写真)を渡り、国道467号線に合流して左へ曲がる。
  
 467号線に出てから500mほど行った左側の小路をちょっと入ったところに、飯盛女の墓碑がある永勝寺(写真)がある。多くの墓石には飯盛女の戒名と「施主小松屋源蔵」の文字が刻まれている。
   
 永勝寺から200m程先に右側歩道に伝源義経首洗井戸(写真)の案内標識あり、マンションの横道から入ると児童公園の一角に首洗い井戸と一基の碑がある。碑文から義経主従の供養墓である。この頃は16時はもう暗いのでここで今日は終わりにした。
   
 翌2/12に国道467号線の延長上にある国道43号線と合流して西北へ真っ直ぐ進む。小田急藤沢本町駅から約1km先の引地川にかかる引地橋を渡り、さらに44号線を西へ100mほど行くと右に養明寺(写真)がある。この寺には国指定重要文化財の木造薬師如来坐像があり、製作は建久8年で運慶の兄弟弟子の作と言われている。公開は12年に一度。
   
 そこから西へ約2km行くと1号線と羽島交番前交差点信号で合流する。羽島交番にの中で警官が一人事務を執っているのを確認して、突然飛び込んでしまった。その警官はサングラスの下に見えたであろう必死の形相を察して快く(?)トイレを貸してくれた。都心を離れるとトイレには苦労させれ続けた。この交差点の少し手前の右側に大山道道標(四谷不動)(写真)がある。東海道と大山道が交差する四谷辻に建てられていた道標で、延宝4年(1676)に江戸横山町の講中が建てたもの。堂外の道標は初代のもので、万治4年(1661)に江戸浅草蔵前の講中によって建てられたもの。このように江戸時代を通して江戸町人の大山参詣が盛んであったという。
   
 羽島交番交差点から1号線を200m行った二ツ家公民館前の右側道路に二ツ家稲荷神社があり、その敷地内に藤沢市重要文化財 庚申塔供養塔(寛文10年(1670)建)(写真)がある。
庚申信仰は十千、十二支の組合わせによって、60日に一度めぐってくる「庚申の日」にその夜眠らうずに過して無病、息災、長寿を願う信仰である。この源流は「人の体内にいる三戸
(さんし)の虫が庚申の夜、天にのぼってその人の罪科を天帝に告げるため生命を縮められる。」とする中国の道教の教えに由来している。江戸時代には仏教を背景に広く庶民に伝わり、「庚申講」が結ばれ庚申の夜は講中の人々が当番の家に集まり徹夜で酒食、歓談して過ごす庚申待ちの行事や、供養等の造立が盛んになった。
   
 庚申塔から1号線400m行くと藤沢市と茅ヶ崎市の境界になる。茅ヶ崎市の境界から東海道松並木(写真左)になる。松並木は境界から茅ヶ崎駅までの約.8km間の赤松町、本村町三丁目(写真右)、茅ヶ崎2丁目の3ヶ所で計1km長さで松並木が保存されている。この国道1号線は大変交通量が激しく排気ガスもひどい筈であるが、歩道を歩いていても何故か気なるらず気持ちよく歩けたのは、天気がよかっただけでなく、きれいに手入れされた松並木があったからかもしれない。なお本町三丁目の黒松は推定樹齢400年で幹周りが1.2mもあるとのこと。
   
 茅ヶ崎三丁目の松並木外れの左の交差点に日本橋から58kmの茅ヶ崎一里塚(写真:)がある。
 ここから100mほど行くと茅ヶ崎駅前交差点信号になる。

   
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