駿河国沼津市原
原 宿
から吉原宿へ
江戸日本橋から原宿へ124.2km。、原宿から吉原宿間11.7km
     
この区間は2002.3.3日に沼津宿に引き続いて歩いた。
天候は濃い曇りでかつとても寒い日で手がフリーズしてしまい、
デジカメ操作も充分できないほどであった。
ただ残念なのは富士山、愛鷹山を眺望できる風光明媚なこの地で、
青空がなく撮った写真がいかにも悲しく見えることである。
なお原宿には旧東海道の名所旧跡が少ないようにように思えた。

沼津市今沢JR東海道本線原駅富士市境界

原宿:原宿を通る旧東海道は、沼津市乗運寺から富士市田子の浦港までの約14kmにわたって駿河湾に平行に走る平坦な一直線の道となっているのが特徴的である。道々からは富士山と愛鷹山の両方を見ることができる小さな宿で、農業にはあまり適した土地でなく漁業で生計を立てていた。
 本陣:1、脇本陣:1、旅籠:16、人口:1,939人
 東海道本線の踏切を渡って200m程行くと左側に神明神社があり、その入口に集落を守るための道祖神である塞神(写真)が祀られている。塞神は箱根を境に形が変り、西へくるほど大きくなってくる。
  
 さらに約700m歩くと白隠前バス停があり、そこから左手の道を入って行くと松蔭寺(写真左)がある。松蔭寺は1707年(宝永4年)富士山の大噴火で大破したものを原出身の白隠禅師が住持となり再興した。白隠は江戸中期の仏教界に新風を吹き込み、500年に一度の名僧と全国に知れ渡り「駿河には過ぎたるものはが二つあり 富士のお山と原の白隠」とまで言われた。山門を入ると境内の白い砂利た印象的で境内の奥には白隠の墓石がある。
 また境内の外の民家に面したところに、仰ぎ見るほど高く成長した
擂鉢松(写真)がある。この松はには白隠が幹の先が折られた松が可愛そうだと擂鉢を被せてやったところ、そのまま育ったという伝説がある。観光案内の写真では青空をバックに美しく撮られいる。
   
 もとの道へ戻りまたまっすぐな平坦な道を歩くことになる。
 余談であるが、旧東海道の道幅は最大が7間(12.6m)、最小が3間(5.4m)と決まっていたという。最大幅の理由は分からないが、最小幅は道に籠を置いて両側に侍が立ったときその刀が当たらない幅であるという。
 この地から富士山がよく見えるということなのであろう、何しろ道筋に浅間神社が多くある。その中の一つに松蔭寺から約2分ほど歩いたところに
雲見浅間神社(写真)がある。この神社は写真の石碑の後ろに見える透明なビニールハウスに暖かく納められていて、一見とても過保護と思えるのだが・・・・。
   
 当然このような立派な浅間神社(写真)もある。
   
 松蔭寺から700mほど行った左手の突き当たりに、JR東海道本線原駅(写真)がある。とてもシャレタ感じの駅だったが、乗降客は見られなかった。他のローカル駅においても同じであったが、一日の電車の本数も少ないのでその時刻以外は人影がなく、昔のように駅前の賑わいということは期待できないと思う。
   
 原駅から200m程歩くと、左側に大きな構えの大通寺(写真)がある。
   
 大通寺から130m行くと再度JR東海道本線を横断し道が分かれるが、右手が旧東海道である。その分岐点から左手の細い道を少し行った角に大乗妙典石経塔(写真)がある。これはいわゆる村の安全祈願塔で、年代は忘却してしまたが相当古いものであった。ただ東海道でこのような塔が写真のようにきちんと整備されて保存されているのはむしろ珍しく、住民の信仰心の篤さが伝わってくるようである。
   
 横断するとまもなく、富士市の境界標識(写真)が見えてくる。
   
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