今市宿から鉢石宿へ
 
(宿間距離 7.9km)
    
この区間は 2003.11.3 に大沢宿に引き続いて歩いた。
旧日光街道は 
一般道路(杉並木)→119号線→一般道路(杉並木)→119号線→一般道路(杉並木)
 の経路となる。
今市宿は、例幣使街道と会津西街道が合流する重要な宿駅であった。
もともとは「今村」と言っていたのが、宿駅となってから近所の人々が移り住み、市場となり、
賑わうようになったので「今市」となったといわれている。
慶応4年((1868)の戊辰戦争で、宿の全てが焼けてしまい、江戸時代の街並みは残っていない。
宿の規模は、本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠21軒、人口1122人であった。

時は10時28分。国道119号線の森友交差点を通過すると、その先で119号線と別れて旧日光街道は右手の林の中に入っていく。
   
ここの杉並はきれいに舗装され、白線も鮮やかで、なんとなくすっきり整備された雰囲気を感じた。これまで何度も杉並を歩いてきたが、それぞれの並木は何となく個性をもっているような気がする。
   
杉並木道に入り1.1kmほど歩くと、左にさくらすぎと書かれた白杭がある。この木は桜杉と呼ばれ、杉の割れ目に桜の種が落ち芽を吹いたもので、1本の木のようになっている。
   
その先300mほどの右側に、7本桜一里塚に立っているよく写真で見かける並木ホテル杉がある。この杉の空洞に近づいてよく見ると確かに大人4人が入れそうな大きな広さで、このため「ホテル」と呼ばれるようになったという。なおこの塚は特別史跡、特別天然記念物の両方に指定されている。
   
は、ラブホテルへの案内。こういう所へ来てまで励むんですね。場所を選ばずですか。うらやましい!
   
前方に横断して見える高架は、東武日光線で思いがけないところに走っているもんですね。
   
高架をくぐってから、右横の土手出て遠くをみれば、いずこの山並みか青空に霞んでいた。並木ばかりに閉じ込められていると、こういう開けた景色でほっとする。人間はわがままにできている。
   
また元へ戻り歩いて行くと、今度は小倉交差点の歩道橋。ここにはちゃんと信号までついていた。こういうところに信号に歩道橋という重装備ということは、以前交通事故でもあったのかもしれない。
   
約2.8kmも続いた並木道も終わり、前方に小倉町交差点が見える。
    
交差点手前で、左から来る例幣使街道と合流する。
    
その追分の3角地点に、通称追分け地蔵といわれる石造地蔵菩薩坐像がある。下から仰ぎ見る高さ2mもある大きな地蔵で、丸彫り石地蔵の坐像としては、東日本有数の巨像といわれているという。製作年代は不明であるが、寛永21年(1625)に今市宿如来寺からこの追分に移されたといわれている。
   
今市の町をまっすぐ走る119号線
   
信号から少し行った先の右に、史蹟二宮尊徳翁之墓の立柱がある。右折して200mほど行くと報徳二宮神社がある。二宮尊徳は、安政3(1856)に70才でこの地で亡くなり、墓石を建てるなと遺言したという。その意向を尊重して、神社を建てたということだが、どうもすっきりしない。なお尊徳は幼名金次郎といい、小田原生まれで、後半生を今市で暮らしいろいろな偉大な事業を達成した人物である。
   
神社の右側の道路を挟んで、寺墓地の入口にある首の欠けた蔵助地蔵は、戦国時代の大工蔵助が1557年に建てたもので、旧今市村に残存する地蔵菩薩で最古のものといわれている。
   
もとの119号線に戻り、歩き続ける。町の中にはところどころに、おいしい「いまいちの水」飲み場が設置されている。試飲したところ、ことのほか水の好きな私もおしいと感じた。立札によると、国で定めたおいしい水の基準があり、今市の水はその基準を超えたおいしさ、とのこと。
   
尊徳翁之墓立柱から、約300mの左の歩道上に、今市町道路元標がある。道路元標とは、道路の起点・終点または経過地を表示するものであるが、刻印がないので元標がいつの時代設置されたか不明。
   
121号線と交差する、春日町交差点を横断すると、左角に「日光みそのたまり漬」店がある。今朝出発時に旅館のおばあさんが言っていた、おいしい店とは多分ここであると思う。ただ私は旅を急ぐ身ゆえに、店には立ち寄らず、味の方は不明。
   
右前方には、今市宿市縁ひろばがある。
   
交差点を過ぎしばらくすると、通りは住宅街となる。なにげなく右手を見ると、民家の前に古そうな大きな石柱が傾いて立っている。立札をたてそれらしき由緒でも書いておけば、それはそれとしてまた名所になるだろうにと、ふと思ったりした。
   
ほどなく5差路に出る。ここから旧日光街道は左の119号線と分れ、右の杉並木の道となる。歩道橋からその様子をパチリ。
   
119号線の角には、勝道商人が日光に滝尾を祀ると同時に、この地にもこれを祀ったと伝えられている滝尾神社がある。
   
並木に入ると、砂利できれいに舗装された道で、車も通らない閑静な林という感じであった。
   
200mほど歩くと、右上に「(たか)お神社」がある。この「お」という漢字が、どの辞書を引いても出てこない、この世にない漢字ではないかとないかと思う。ちなみに神社に記されていた漢字は「雨」のような字の下に、「口口口」で、その下に「龍」の1文字である。景雲元年(767)の創建されたといわれ、祭神は高お神で農耕に感謝して祀られという。今市市には同名の社が15社もあり、その中で最古の社とのこと。
   
さらに600mほど行くと、左側に江戸から34番目の瀬川一里塚がある。現在でも道の両側に残っている。
   
その先で約1km続いた並木を終わり、まぶしいばかりの太陽が目に痛い。
   
並木を出ると瀬川の集落があり、前方にまた並木道が見える。
    
並木入口の左に、大日如来の立札があり、左折して50mほどのところにひっそりと如来堂がある。
   
並木道は、きれいに敷つめられた石畳でびっくりした。当時のものではないと思うが。
    
並木はすぐ終わり、また瀬川の集落になる。瀬川の集落には「ギボウシ町瀬川」看板が目立つ。ギボウシは、漢字で「擬宝殊」と書き、ユリ科の花。(写真右)
   
また杉並木の道に入るが、何故か車進入禁止の札が立っている。道は砂利道となり、しばらく行くと日光市に入り、いよいよ目的地の鉢石宿を目指すことになる。時は12時32分。
   
大沢宿 鉢石宿へ
                   
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