大沢宿から今市宿
 
(宿間距離 7.9km)
             
この区間は、2003.11.3 に歩いた。
旧日光街道は 19号線→一般道(杉並木)→119号線→一般道(杉並木)→119号線 の経路となる。
この区間の約70%が杉並道で、日光に近づいているという実感のする区間でもある。
大沢宿は、元和3年(1617)日光東照宮が造営された後、江戸から19番目の宿場となった。
天保4年(1833)に飯盛女を許可されてから、宿場は非常に賑わったという。
宿の規模は、本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠19軒、人口278人。
              大沢の地名の由来
建久年間(1190〜99)に源頼朝が狩に訪れたとき、広大な荒地だったのを見て、
4人の従者(宮下、大島、安西、高橋)に開拓居住させたが始まりという。地名は
この頼朝の恩沢にちなみ「恩沢」と称され、のちにそれが大沢(おおたく)となり、
さらに現在の読み方の「おおさわ」になっと伝えられている。

杉並木の中に今市市との境界看板があり、宇都宮市から今市市に入った。8時25分。
  
並木通り両側は少し高くなっていて、それぞれ専用歩道がある。左側の歩道を歩くと全面畑ばかりで、また木々はきれいな紅葉を見せている景観良好。
   
境界から300mほどのところで並木はなくなり、国道119号線はありふれた道路風景となる。やがて「日光まで17km、今市市街まで10km」の交通標識があり、並木が終わる。1.4kmほど行くと道は左にゆるいカーブを描くが、旧日光街道はカーブのところで直進し杉並木の道に入る。
  
ここの杉並木通りはこれまでと違い、林の中の道という感じで殆ど車も人も通らない。入口から100mほど歩くと左側に、杉並木寄進碑がある。松平正綱が寛永2年(1625)から20数年かけて杉並木を植栽して東照宮に寄進したことが記された石碑。この碑は日光神領と宇都宮領との境界に建てられているので、境石と呼ばれている。
   
さらに50mほど行くと杉並木は終わり、約150m先の大沢交差点で、先ほど別れた119号線と再度合流して進む。この辺りから大沢宿になるのであろうか。
   
町並みの道を交差点から200mほど歩くと右に、王子神社の白い看板が立っている。
   
王子神社は源頼朝などを祀っている神社で、旧大沢宿の鎮守であった。境内には樹齢約200年、樹高35.5mの大いちょうがあり、今市市指定の天然記念物になっている。
   
さらに300mほど行くとまた杉並木に入る。
   
並木通りに入ると右側に八坂神社があり、その鳥居の前に八坂の枝喰い杉がある。2本の杉の根部が癒着した二又杉で、あたかも別の木の枝を食い込んでいるような形をしているのでこう呼ばれている。
   
マップによると道の反対側に、松平正綱が杉並木を植栽する以前からあったという、大沢の古杉があることになっている。しかし周りが全て杉の巨木ばかりで、これぞと特定することは、私には到底無理なこと。たまたまそこに住んでいる年配のご夫婦が庭仕事をされていたので、お尋ねしたら、そんな杉は全く知らないという。マップの位置関係からいってそのご自宅玄関前の巨木らしいと、3者の意見が一致。ただこの杉に少し前に落雷があり、木に割れが入っているとのことで、記念にパチリ。
   
玄関の前には、こんなに可愛いくて澄んだ小さな川が流れているとは、思ってもいなかった。
   
さらにすぐ先の左には、大沢の4本杉がある。4本の杉が四角形の各点から殆ど同じ大きさで立ち、均整のとれた箱型樹相になっていて、互いに倒木を防ぐための植樹法によるものという。
   
杉の木が繁茂した並木を500mほど行くと、右に大沢御殿場跡の白い立札がある。江戸時代徳川将軍家が日光参詣のおり、ここで昼食をとり服装等を整えたところ。現在は御殿はないが、池、濠、庭などが残っていて昔の面影がしのばれると書かれている。
   
さらに400mほど行くと、左側に江戸から32番目の大沢一里塚跡標識が立っている。
   
塚から約200mで並木終わりそこには、地蔵堂が祀られている。
   
119号線をひたすら歩いて行くと、交通標識に下に今市市水無の地名が見える。水無の地名の由来の一つに、名主清兵衛の宅地に大きな梨の木があり、水分の多い甘い果実をつけたので「水梨」と呼ばれ、それが「水無」になったと言う説がある。さらに進んで交差点を直進して行くと、前方に大きな森のトンネルのような杉並木が見えてくる。
   
杉並木道の両側には一段高い歩道があり、その左側の歩道を歩いた。遠くまで広がっている、歩道脇のさらさらと音を立てて流れる小ちゃな川。そして畑が終わると林の中の小道。どれもこれも自然が一杯。
   
約1km続いた杉並木は終わり只の車道となるが、すぐ今度は119号線と分れ杉林の道へと入って行く。
  
この道は、砂利敷で全く車の通らない道で、両側には小ちゃな川が流れ木洩れ陽が降りそそぐまさに森林浴の道であった。とても新鮮な空気を一杯吸い込んで道の真ん中を歩き続けた。この道幅は昔の街道幅と同じだと言うが、私には少し狭すぎるような気がする。ふとよく観察するとど、の木にも個人の名が書かれた名札がぶら下っている。これは杉並木保存事業で、1本1000万円のオーナー制度により、管理費を出してもらっている印ということである。
   
800mほど快適な気分を味わうと、前方には119号線が見える。ふと左側を見ると、小川で一生懸命ネギを洗っているおばあちゃんの姿があった。近寄って改めて小川の水を見るととても澄んだきれいな水で、さらさら音を立てているのが聞こえてきた。なおこのおばあちゃんは、今朝から久しぶりに出会った人間でした。
   
現実に引き戻され119号線を300mほど歩くと右に来迎寺がある。参道には十五夜塔の古い4体の石仏があり、各石仏とも、とても穏やかなお顔をされているのが印象的であった。
   
やがて森友交差点を直進し、次の杉並木通りに入り今市宿へ向かうことになる。時は10時28分。
   
徳次郎宿 今市宿へ
                   
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