石橋宿から雀宮宿へ
(宿間距離 6.1km)
    
この区間は、小金井宿に引き続き2003.11.2と3日の両日にわたって歩いた。
旧日光街道は、(住宅地で道がなく国道4号線を歩く)→(352号線高架下から)4号線の経路となる。
石橋の地名は一説によると、池上明神(現在はない)の前の水が流れるところに、
当時では珍しい石の橋があったところから、つけられたとも伝えられている。
石橋宿は、天保14年(1843)の記録によると、本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠30軒で小規模な宿であった。

旧日光街道が住宅地のため道がなく、迂回して国道4号線を歩いた。まだ17時35分なのにこの時期もう周りは真っ暗。車の通らない国道は明かりもなくただひたすら歩き続けると石橋町境界看板だけがイヤに目立て立っていた。ここで国分寺町から石橋町に入り石橋宿へ向かうことになる。
  
4号線を北へ1kmほど行くと、歩道の左側に10体の夕顔橋の石仏群がある。正直なところ暗いところで見る石仏というものはあまり気持ちのよいものではなかった。すぐその先の国道352号線の高架下で、4号線は旧日光街道となる。
暗闇の中での史蹟探しはヤメにしてとりあえず今夜の宿泊するところを探しながら4号線をひたすら歩いた。しかし結局は見つからず1.5km歩いた信号で右折してJR東北本線石橋駅まで来てしまった。こういうときは駅員に聞くか、備えてある電話帳で旅館を探すことにしている。
この時は電話帳で駅前にビジネスホテルを大発見。早速電話で予約して宿泊したのであるが、うら若き熟年の女性が1人でやっているようで、他にどうも宿泊客がいるようないないような。素泊まりだけということで夕食はダメだといい、近くのスーパーでインスタントラーメンを買って来てビールでご馳走。朝食を無理にお願いしたら、私ひとりのために7,8品もある暖かい家庭料理を出してくれました。感激!
                        
宿泊できただけでも望外なのにと、熱い味噌汁の味を口の中に感じながら朝7時過ぎホテルを出た。
駅前には、グリム童話のおとぎの国を模した大きな
モニュメントがあるが、石橋町はドイツのシュタインブリュッケンと姉妹都市となっていて、「グリムの里つくり」に取組んでいるとのこと。
   
駅前から西へ歩き昨夜右折した信号に出て左折して、国道4号線を約400m戻り、その地点から再度旧日光街道を歩いた。
道の左には創建が天平宝宇3年
(759)という愛宕神社があり、境内は愛宕山古墳と言われている。
   
前方を見ると、曇り空に真っ直ぐな4号線で、この時間(7:35)全く車の姿をみることができない。
   
300mほど先の右側の伊沢写真館は脇本陣跡(写真左)で、さらに100m先の右にある伊沢茶舗が本陣跡(写真右)である。この伊沢家の祖先は、多功宗朝(宇都宮国総の一族)に仕えた旧家だという。
   
そしてすぐ前が先ほど通った石橋交差点で、右折するとJR石橋駅に行く。
   
信号からすぐのところの右側に、徳川将軍の日光参詣のとき休憩所となった開運寺がある。
   
朝の殆ど人の通りのない道を淡々と歩いていたら、前から中学生らしい男子生徒が自転車に乗ってきて、通り過ぎるさい「おはようございます」と元気に挨拶をしていった。こちらも慌てて「おはよう」と返したが、地方では中学生もまだ純情で、まだまだ日本の将来は大丈夫だとつい思ってしまった。700mくらい歩いた右の歩道に、文字の刻みも定かでない道祖神があり、そこには新しい花が供えられていた。地域の人たちに大切にされているのであろう。
  
その前方には「石橋あやめ園」の立看板があり、そこから民家の敷地のようなところを右折して200mほど行くと小さな池がある。
  
池の橋を渡ると、ビニールテントに覆われた多数のあやめ園が広っている。そして一つひとつに名札がつけられいた。ここにはジャーマンアイリスが3万株もある園で、球根も予約販売しているという。
   
もとの旧日光街道の4号線に戻ると、道はガスにかかっていて遠くがカスんで見えた。
   
単調な道を約800mほど行って71号線を横断してすぐのところに、上三川町境界看板が立っている。ここから石橋町から上三川町に入ることになる。
   
ところが、少し歩くと、右手に石橋警察署の建物がある。上三川町に石橋警察署ということは多分広域警察署なんだろうか、と1人合点して前進する。
   
右手の畑の前方を見ると、4号線と平行に走っているJR東北新幹線が見える。その下には東北本線も一緒に走っている。
   
さらに歩いて行くと左側に巨大な兜の構造物が突然出現して、ビックリさせられる。これは韓国料理の店を出している家康本陣という会社のPRで、なんとまた大げさにと思ったが、近くでよく観察すると明らかに張りぼて作品であった。それにしても街道筋で話題になっているのであろう。
  
またその先の右手の奥に、1380年小山・宇都宮合戦の戦死者の鞘を集めて埋め、お堂を建て地蔵を安置したという鞘堂地蔵がある。この辺りの鞘堂の地名はこの神社名から由来している。
   
さらにその先の左側には、鞘堂新田の鎮守の星宮神社がある。
   
4号線を北へ進んで行くと、なんとまた石橋町境界看板があるではないか!? 確か石橋町から上三川町に入ったはずで、そこから1km来たここにまた石橋町の看板があるとは。歩きながら多分間違いであろうと考えていたが、ふとひらめいてその謎が解けた。さておわかりでしょうか?
再度石橋町に入り、北関東自動車道高架の下を通り約850m行くと、
宇都宮市境界看板見えてくる。
ここから宇都宮市に入り、雀宮宿へ向かうことになる。時は8時54分。
  
小金井宿 雀宮宿へ
                   
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