|
||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||
この区間は、2003.11.2 新田宿に引き続いて歩いた。 旧日光街道は、住宅地一般道→国道4号線→住宅地一般道、の経路となる。 小金井宿は現在の国分寺町にあって、 天保14年(1843)の記録では、宿の長さ南北へ約730m、本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠43軒。 宿場の終わりの頃になると夜になり、暗闇の中の歩きとなってしまった。 そしていつものように今夜の宿泊先を探しながら次の宿へ急いだ旅でもあった。 |
||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||
国分寺町に入り、小金井宿へ向かう旧日光街道は、国道4号線に平行な住宅地中を走るひっそりとした細い道である。 |
||||||||||||||||||
小山市との境界から約600mほど歩いていると、突然右手に大きな自動車通りが現れその突き当たりにJR小金井駅の建物が見えた。駅前通りなのであろう。 |
||||||||||||||||||
そのまま住宅地の道を北へ進んで行くと、道は丁字路で行き止まりになり旧日光街道はここで遮断されてしまう。 |
||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||
右折して4号線に出て北へ50mほどの左側に江戸から22番目の小金井一里塚の案内板がある。一応は盛り土と榎の形で原型をとどめているような姿であるが、江戸時代の塚は約9.1m四方の四角形で築かれていたことを考えると、現在は丸塚になっているのでやはり時代の変遷での変化を感じさせる。 ところでこの時、時計は16時半頃を示していて、そろそ今夜の宿泊地を考えないといけない時間となってしまった。毎回のことながら地方を旅すると、宿泊とトイレには全く苦労させられてしまう。さて宿泊できるところはどこにあるのだろうか? |
||||||||||||||||||
一里塚から100mほど行った交差点で、道がなくて通れなかった旧日光街道が再度始まる。そしてこのあたりから小金井宿となる。 |
||||||||||||||||||
4号線の殆ど人の通らない歩道を歩いていると、向うから自転車に乗ってきた学童が「こんにちは」と挨拶をしていった。人を見たら「人殺しと思え」と教育されているこの頃の私からすると、本当に不思議な出会いである。ただ東海道を歩いた時も、地方に行くとこのように学童から挨拶をされることも多々あった。幼い子供や女性に対する重大犯罪者は、絶対即刻極刑に処しないと、この国に明るい将来はない思う。現実はそういうことをできない法律になっているのでやはり「必殺仕置き人」は必要ですね。 それはともかく「こんにちは」とその学童に挨拶を返した。さらに信号のある交差点を横断して150mほど行くと、右側の「入居者募集コーポスカイ」看板が出ている家が、佐倉藩領主陣屋跡で、現在は菅井菓子店となっている。 |
||||||||||||||||||
道の反対側の斜め前には、慈眼寺がある。建久7年(1196)に創建された古刹で、境内には江戸時代の観音堂や鐘楼が現存している。 |
||||||||||||||||||
隣接して古くから小金井宿の鎮守として信仰されてきた金井神社がある。 |
||||||||||||||||||
さらにすぐ先の交差点の手前には、小金井宿本陣跡の門が残されている。ここには明治22年(1889)に国分寺村が発足したとき、村役場が置かれたという。 |
||||||||||||||||||
道の反対側には、昔呉服屋だったといういかもに旧家という建物が残っている。 |
||||||||||||||||||
約250m先に進むと小金井北信号の交差点があり、右折すると突き当りに蓮行寺がある。元徳元年(1329)に創建された寺で、徳川将軍の日光参詣の際には、宇都宮城主がこの寺で出迎えることになっていたという。 |
||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||
旧日光街道は交差点を直進し、250m先の左側の奥の方に薬師堂がある。この本尊は奈良時代の僧の行基の作ともいわれている。 |
||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||
時は17時、この季節内陸ではこれから急激に暗くなってしまう。早く宿泊するところを決めたいと思ってもどうもそのようなところはなさそう。気持ちは焦る国道4号線。 |
||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||
旧日光街道は薬師堂から約600mのところで4号線と別れ左折することになっているが、そこは道がなく日中でも迷うところとらしい。この際安全を第一でその先のJR東北線自治医大駅前の自動車販売店の横から旧日光街道に入ることにした。 |
||||||||||||||||||
4号線と平行に走る旧日光街道は、こおろぎの鳴く声がイヤに大きく響く田圃の中の道で視界ゼロ。遠くにちょっと明かりが見えるだけ。時々デジカメのフラッシュで足元を確認して歩き続けた。たまたま偶然若い女性が犬の散歩で通りかかったので、すかさず宿泊できるところを聞いたが全くないという。小山駅まで引き返すか、次の石橋駅までいかないとどうもダメらしい。いずれにしても、5kmくらいはある。一度に疲れが出てしまった。タクシーをひろいたくてもないという。国道4号線を時々バスが走っているとのこと。 |
||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||
あきらめて重い足取りでひたすら暗い夜道を唯1人、1.5kmほど歩き続けると、道は行き止まりになり迂回するための右折して国道4号線に出る。車の通らない国道はただいたずらに暗いだけで、しばらく歩くと石橋町看板がイヤに目立って立っていた。 ここからは石橋宿に向かうことになる。時は17時35分。 |
||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||