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この区間は、2003.11.2 小山宿に引き続いて歩いた。 旧日光街道は、住宅地の一般道→国道4号線→住宅地一般道、の経路となる。 新田宿は小山市羽川にあり、宿の町並みがわずか約400mしかない、 日光街道で最も小さな宿場であった。 天保14年(1843)の記録では、人口244人、家数59軒(うち本陣1、脇本陣1、旅籠11)。 |
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JR東北新幹線沿いの道から、三叉路で橋本整骨院看板の左側の道を進んで旧日光街道の道に戻り新田宿へ向かう。 |
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300mほど行き信号のある交差点で国道4号線と合流して進む。この辺から新田宿となる。 |
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約500m歩いていくと左の歩道に面して、格式を感じさせる新田宿本陣跡の門がある。ここは宿場のほぼ中央に位置していたという。 |
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その先150mほど歩いたところの、柏崎工務店の脇の細い道の突き当たりに薬師堂がある。この南側にこの地域の天領を支配した代官所があったということであるが、今はその跡形も残されていない。 |
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さらに300m行くと左に銅市金属工業の看板があり、旧日光街道は国道4号線と別れここで左折する。 |
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道はゆるい右カーブで、その曲がり角の建物の裏側に石仏群がある。ここは新田宿の北口にあたり、寛政12年(1800)の道標を兼ねた馬頭観世音には「左おざく道」、宝暦2年(1752)の六十六部供養塔には「左おざく・こくふんじ」と刻まれている。 |
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旧日光街道は国道4号線と平行に住宅地を通って行くが、宅地などのため通れなくなっている場所もある。 細い小道を迂回しながら歩いていくと、小山市と国分寺町の境界に出て次の小金井宿へ向かうことになる。 時は16時20分頃。 |
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