雀宮宿から宇都宮宿へ
(宿間距離 7.9km)
                 
この区間は、2003.11.3日に石橋宿に引き続いて歩いた。
旧日光街道は、国道4号線の同じ経路となる。
雀宮宿は宇都宮市の入口に位置し、日光街道が開かれた時に新しく作られた宿場だといわれている。
慶安元年(1648)の記録によると、本陣と脇本陣が各1軒、旅籠38軒というという小規模な宿場であった。
この地の茂原は中世たびたび合戦場となったところで、
天授6年(1380)、下野の両雄と言われた宇都宮基綱と小山義政の壮絶な戦いがあり、
「小山・宇都宮合戦」といわれている。
結果は基綱が敗北し一族300余人がことごとく討死してしまった。
このとき討死した兵の鞘を集めて埋め、堂を建てて地蔵を安置したのが
隣接の石橋宿にある鞘堂地蔵である。
  

宇都宮市に、曇り空の朝8時45分に入った。
  
国道4号線を北上して約400m行くと右に、真新しい(平成12年造)茂原正観音道標識が建っているが、茂原観音はここから約1.5kmも離れたところにあり、遠過ぎるので参拝を割愛させてもらった。
   
単調な4号線を淡々と歩いているといつの間にか町名も雀宮に変わり雀宮宿に入っていた。観音道から約2.3kmの左側の大和田病院とベビー用品西松屋の境界の一角に、雀宮本陣跡標柱が立っている。
   
さらにその先100mほど雀宮駅前交差点の右手前にある、立派な門構えと黒い板塀に囲まれた芦谷家は仮本陣であったところで、当時の面影を今に残している。
  
雀宮駅前信号を右折して約400m行くと、JR東北本線雀宮駅となる。
   
旧日光街道は信号を直進し、300mほど行った右に馬頭観音(写真左)があり、隣接してこじんまりとした雀宮神社がある。神社の由来は社伝によると、長徳元年(995)、藤原実方が陸奥守として赴任途中休憩したこの地で、後を追ってきた妻の綾女が病死してしまった。遺言で持ってた宝珠を埋め産土神として祀ったのが神社の始まりという。その後赴任地の陸奥で実方がなくなると、その霊魂が雀となってこの地に飛来したので綾女と実方を合祀し雀宮と称したということである。なお雀宮という地名はこの神社の名前に由来している。
   
雀宮神社の道の反対側に、国道4号線が起点の日本橋からちょうど100kmの道路標識がある。こういう何でもないことでも、改めて知らされるとなんとなく感激のようなものが沸いてきてしまう。
   
本田技研の前を通り900mほど行くと、前方に国道121号線との交差点が現れ、左折すると栃木県総合運動公園があり、園内には家族で一日楽しめるファイミリーランドがあるとのこと。旧日光街道は直進する。
  
交差点を過ぎすぐのところで、左手奥の陸上自衛隊北宇都宮駐屯所門を左目でみながら、先に進む。
  
交差点から1.2kmほど行くと、左側にとても派手な色の寿鶴薬師堂が現れる。近くで見ると最近塗装をさたばかりのようであるが、それにしても小粒ではあるがひときは目立っていた。
  
その先約300mの右の、鳥居の奥に地味な菅原神社がある。ちなみに正面のベージュ色の建物は公民館で、その後に見える右側の遠慮した黒っぽいのが神社。なにか公民館敷地に間借りしているような感じがしていた。
   
台新田交差点を横断し、横川西小学校の前を通りすぎていくと右手に走っているJR東北本線が段々近づいてくる。そういえば、いつの間にかJR東北新幹線の高架が見えなくなっていた。
やがて目の前に江曽島一里塚のある
一里信号が見えてくる。ここからは宇都宮宿へ向かうことになる。時は10時42分。
  
石橋宿 宇都宮宿へ
                   
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