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伊勢国鈴鹿市
石薬師宿から庄野宿へ |
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江戸日本橋から石薬師宿まで398.2km、石薬師宿〜庄野宿間2.7km |
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この区間は、2002.12.8四日市宿に引き続いて歩いた。
天候は相変わらず重い曇天で、後半は小雨が継続的になり、悪い状態での歩きとなったが、
これも長い旅の間の1コマで仕方がないことだと思った。
この区間はとても短く、特に宿はあっという間に過ぎてしまったという感じが今でもしている。
石薬師町は佐々木信綱の生まれてところで、信綱作詞の唱歌「夏は来ぬ」にちなんで、
昭和63年から町をあげて卯の花の里作りに取り組んでいて、
初夏ともなるとどこの家庭の庭先にも道端にも、
白い可憐な花が咲き清楚な趣で旅人を迎えてくれると言う。
機会があったらその時期にまた訪ねて見たいと思う。 |
鈴鹿市小谷町→石薬師町→宮戸橋→庄野宿へ |
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石薬師宿:江戸から数えて44番目の宿で、高富村と呼ばれていたこの地に宿駅が制定されたのは1616(元和2)年と遅く、宿の名前は当時有名であった石薬師寺からとった。宿は休憩地の役割が強く宿泊客が少なかったので宿の経営は苦しかったと言われる。
ちなみに1845(弘化2)の石薬師宿軒別図から職業構成を見ると、人家約180件のうち百姓が130軒と70%も占めていて、農村的性格の強い宿場であったという。
本陣3:、脇本陣0:、旅籠15:、人口:991人 |
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国分町信号から国道1号線と別れて、左の道を南西に歩くとそこは小谷の町並(写真)みとなる。
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約1km歩くと1号線に出るので、地下道を潜って反対側に渡りさらに1号線沿いに200mほど行ってから、1号線と別れて右手の細い道に入る。その入口の左手に延命地蔵の北町地蔵堂(写真)がある。江戸時代賑わった石薬師宿の入口に旅の安全を祈って建てられたという。
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坂道を登って行くと、石薬師の町並み(写真)が見えるが、こおからは昔日の面影を感じられない。
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少し先の右に大木神社の鳥居(写真左)があり、この奥深いところに神社がある。鳥居から延々と歩いて行くと、なんとまた鳥居があり、その奥に今度は大木神社(写真右)があった。ここは1ヘクタールにもおよぶ石薬師の鎮守の森で、サカキ、モチノキ、ヤブニッケイ、スギ、ヒノキなど100種もの樹木や草木が混在している。その主体をなすのがブナ科スダジイのシイの木で、巨木をなしている。
どうもこの頃は天候も悪く雨合羽を着てのデジカメ撮りだったので、品質の悪い写真となってしまった。
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旧東海道に戻り歩くと、すぐ先の右側には小沢本陣跡碑(写真)があり建物も残っている。建物は明治初期に建替えられているが、西国大名や当時の人々の宿帳等が残っていて、赤穂の城主浅野内匠頭の名前も記されている。国学者 萱生由章(1717〜1775)はこの家の出身。
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道の反対側の民家の塀(写真)には、「東海道」「石薬師宿」の標示と、奥の方には「広重の絵画」が飾られていて、町の人々が石薬師宿をいかに一生懸命PRしているか心くばりが察しられるような気がした。
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さらに進み石薬師小学校を過ぎると石薬師文庫敷地の電柱の脇に「距津市元標へ九百四町十七間」と刻まれた石柱の道標(写真)がある。この道標は津市元標までの距離を表し、大正時代に道路元標が各市町村に設置された時のものである。
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その先には佐々木信綱資料館(写真左)と、その正面右に隣接して木造建物の信綱の生家(写真右)がある。歌人で国文学者で第一回文化勲章受章者の信綱(1872〜1963)は弘綱(江戸末期の国学者)を父としてこの地で生まれた。記念館には文化勲章をはじめ多くの遺品、著書、原稿など2000点が収蔵されている。生家は信綱が明治10年に一家が松坂に移住するまでの幼年期を過ごしたところで、庭には信綱作詞の唱歌「夏は来ぬ」に詠われた卯の花(ウツギの木)が植えられている。
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記念館を過ぎると道は下り坂となり400mほど行くと1号線を跨ぐ瑠璃光橋(写真左)があり、渡るとすぐ右に石薬師寺の看板(写真中)が立っている。そこから奥に行くと「西国薬師第三十三番霊場」「石薬師寺」の表札がかかった山門(写真右)があり、門からは階段を下り寺院に行けるようになったいる。石薬師寺は、聖武天皇時代に泰澄によって開かれた寺で東海道の名刹として知られ、参勤交代の大名が必ず参詣した。
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戻って旧東海道の道をさらに下ると石薬師寺の正門(写真左)に来る。中に入ると木立に囲まれた総檜造りの本堂(写真右)があり、江戸時代初期の桃山様式で、1629(寛永6)年神戸城主 一柳監物直盛により再建された。石薬師町の地名にもなった石薬師寺は真言宗の寺院で、ご本尊は弘法大師が一夜のうちに爪で彫ったと言われている高さ190cmの薬師如来で、花崗岩の自然石に浅く線彫りされている。
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道は下り坂で南に進み、約300m行くと右に曲がり鈴鹿川支流にかかる浦川橋(写真)を渡る。
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橋を渡ると左折し、そのすぐ先にある石薬師一里塚跡碑(写真)を見ながら進みJR関西本線のガード下を潜って右折する。田畑の道を関西本線の沿って歩き、1号線のガード下を潜って左折して1号線と合流して進む。石薬師一里塚から約1.5km歩くと鈴鹿川支流にかかる宮戸橋に来る。
ここからは庄野宿は近い。 |
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