遠江国懸川市
掛川宿
から袋井宿へ
日本橋から掛川宿まで220.9km、掛川宿〜袋井宿間9.5km
     
の区間は、2002.3.30に日坂宿の続きとそして翌31日の両日にわたって歩いた。
両日とも天候には恵まれよい歩き日和であった。
宿泊は早めに引き上げてJR掛川駅前のホテルにしたが、
それであれば掛川城を見ておくべきだったと今ころ後悔している。
ただたまたま乗った私鉄電車は全く乗客がいなかったので、
地方の交通機関の経営は想像以上に大変なのではないかと、
老婆心ながら考えてしまった
掛川市伊達方葛川市街地大池橋西掛川駅善光寺袋井宿へ

掛川宿:掛川城主の山内一豊が都市整備をした城下町である。また掛川宿は、宿西はずれの大池橋から秋葉神社へ続く秋葉道があったので、詣での参詣客で大いに賑わった。掛川の名産は葛布で、秋の七草の一つである葛の藁からとった繊維で織り上げる。現在でも織元が残り生産されている。
 本陣:2、脇本陣:0、旅籠屋:32、人口:3,443人
     
 伊達方一里塚を後にして約250m歩くと旧東海道は国道1号線に合流するが、さらに150m歩いて諏訪神社の地点で1号線と別れて左に入り、400mほど迂回して再度1号線と合流する。
 1号線をほぼ西へ2.5km行くと、本村橋交差点で国道一号線と別れ左の道に入る。この道の左側に
成滝の東海道道標(写真)が建てられていて、掛川宿宿境まで二十町(2.2km)、日坂宿宿境まで一里六町(4.5km)と記されている。
   
 1号線から別れると、蛇行して流れている逆川が接近しているその脇を左に見ながら南西に800mほど行くと、左側の掛川農協西山口支所の脇に、大頭龍大権現と福天大権現参道道標の石碑(写真)がある。元の位置は10mほど東であったが、掛川宿と深い交流のあった川崎湊(現静波町)へ続く川崎街道の起点ともなっていた。
    
 さらに西行って逆川にかかる馬喰橋を渡ると左側のたもとの、直径1mほど小さく盛り土されところに、江戸から54里の葛川一里塚(写真)がある。道路挟んで向かい側には、掛川名物振袖餅を売っている有名な和菓子屋「もちや」があるが、甘党には全く無縁の私には素通りしかなかった。
    
 「もちや」あたりからは市街地に入ったという景観で、きれに舗装された道が続く。500ほど行くと左側の兼子酒店から旧東海道は左に入る。この角が東海道七曲りの東入口で、ここからは数十メートルごとに折れ曲がった幅3mほどの細い道が続き、また元の道にでて中心街を通って行く。
 この中心街が掛川宿跡で、中ごろの城下町通りに来ると左側にJR掛川駅、右手の奥には逆川にかかる
緑橋(写真左があり、そこから掛川城(写真右)が見える。
 掛川城は、豊臣秀吉の命を受けて山内一豊が旧城を大改修したもので、その城下町も逆川を利用した境掘に囲まみ、東海道の七曲がりによって敵の侵入を防ぐ構造としたり、侍町と町人地の厳しい区分けなどして本格的な都市計画に基いた新しい町作りをした。

   
 少し行くと右に、掛川市指定文化財(富貴)の門(写真)がある。この門は掛川城の内堀畔にあった蕗(富貴)の門で、廃城とともに明治5年に円満寺山門として移築されたものである。門柱は下部を切り捨てて短くしてある。
   

 蕗の門から600mほど行くと、道は二つに別れるが右手が旧東海道で、ここからは十九首町になる。ここには平安末期朝廷に反乱を起こした関東武士の平将門以下19人の首が埋められたと伝えられているところで、その19首塚がある。道案内板に従い塚を訪ねたらこのとき、今までの塚から川を越えた反対側の民家に囲まれた一角へ移転工事中であった。移転先で工事している合間の縫って新しい十九首塚(写真左、右)の写真を撮らせてもらった。
   

 住宅街を抜け逆川にかかる逆川橋を渡るとすぐの、二瀬川交差点で国道1号線に合流する。1号線を約600m行くと倉真川に大池橋(写真)を渡る。この大池橋は昭和36年竣工のコンクリー製であるあるが、昔の大池橋は、長さ約52m、巾約5.7mの土橋であった。
    
 大池橋を渡ると旧東海道は左折することになるが、すぐ目の前の正面右に秋葉山神社遥拝所(写真)がある。
昔東海道を東から来た人は大池橋を渡ると、正面に青銅製の鳥居とその両側に常夜塔が建てられているのを見て、ここが火防の神様で有名な秋葉山へ通じる街道の入口であると知った。秋葉山まではここから約35kmある。なお常夜塔は1769(明和6)年、青銅製の鳥居は1780(安永9)年に建てられたが1854
(寛永7)年の大地震で破壊され、その後建替えられたもので鳥居は木製となっている。
 大池橋を渡り左折して県道253号を川沿いに歩く。約500m直進すると天竜浜名湖鉄道のガード下に到達する。このころ夕方近くになり道々これから行く先に宿泊するところがあるか聞いて歩いたが、どうも無いような答えばかり。無人駅で高架の西掛川駅にあがり遠くを見渡しても、やはり宿泊できるような雰囲気は感じられず、今日はこれまでとし、電車で掛川駅に戻って宿泊することにした。

    
 2002.3.31 朝7過ぎに掛川駅前のホテルを出て、天竜浜名湖鉄道で西掛川駅へ向かった。多分数両編成の電車であったが乗客は私一人、人ごとながらこの鉄道の経営が心配になった。
 西掛川駅を降りて昨日の続きを歩いた。天気は晴れ時々曇りで特に雨の心配がない道を約800m歩くと十字路があり、その左にある
蓮祐寺(写真左)の前に江戸から59里目の大池一里塚跡碑(写真右)がある。
    
 さらに500mほど行くと、左に曲がる道がありそこには逆川にかかる和光橋がある。寄り道をしてその橋の上から逆川(写真)の写真を撮った。
    
 もとの旧東海道に戻り、道なりに掛川バイパスの下をくぐり約1.5km行くと垂木川にかかる善光寺橋を渡る。橋の右袂の民家の庭先に昔の岡津村を示すとても見事な石(写真)があったので、ついパチリと撮ってしまった。
    
 民家から20mほどのところに奥に通ずる階段(写真)がある。
    
 階段を上っていくと、左に善光寺(写真左)、右に仲道寺(写真右)が並んでいる。
善光寺にある阿弥陀仏は、坂上田村麻呂の守り本尊であったと伝えられている。
仲道寺は、昔江戸から京都まで測量したところ、丁度この寺が東海道の真ん中であったので仲道寺と名づけられたという。

    
 さらに500mほど行くと、美しい岡津の松並木(写真)がある。旧東海道の松は近年多くは松喰い虫の被害で枯れ、この周辺では岡津〜原川に僅かに残っているだけである。
    
 松並木を過ぎると旧東海道は1号線と合流し、100nほと歩くとそのには原野谷川にかかる同心橋(写真)がある。この橋を渡るとそこは袋井市となり、袋井宿へ入ることになる。
                                     
ホームページ
トップへ
東海道53次
トップへ
次の宿へ
ホーム