2019年10月25日
                  一駅読み切り
(神奈川県)相模鉄道沿線・半径1kmの駅
    
                      相鉄本線西横浜駅」  所在地:横浜市西区平沼町8
開業:1929年(昭和4)   一日平均乗降客::約12,400人(2020年度)、約14,800人(2019年度)
                 駅間距離:平沼橋から0.9km
   
  駅名由来:横浜の西側にあることに由来。
   
2019.10.16 に訪れる。
ここでは、線路を横断して野毛山配水地まで続く「水道道」を歩き、
途中の藤棚町信号交差点から、北東にある「くらやみ坂(地蔵尊、願成寺)」と、南西にある「久保山墓地」を訪ねた。
今は緑地化されている野毛山配水地の扉には、しっかり開かずの施錠がされていました。何故だろう?
     
歩行距離(駅~配水池、藤棚町信号~久保山墓地、藤棚町信号~くらやみ坂の各往復距離): 約5.9km
水道道(すいどうみち)
 :1887年(明治20)日本最初の近代水道施設として、イギリス人技師ヘンリー・スペンサー・パーマにより、
津久井郡三井村(現相模原市緑区三井)から配水池の野毛山(現横浜市西区老松町)までの、
全長約43kmの水道管が敷設された。
このときの水道管を埋設した土地の上に設けられた道路を、「(横浜)水道道」として受け継がれている。
水道管経路は、水道設備の間を極力最短距離で結ぶ設計のため、地形にかかわらず一直線に延びているところが多い。
   
西横浜駅
平沼橋駅から0.9kmのところにある。
駅舎
改札口は相鉄・JR線路跨線橋の上にあり、出入口は階段でNO1とNO2の2ヶ所。両口ともにエレベーターあり。
     
水道道   
藤棚町信号交差点へ
ホームページでの水道道のスタート地点は、駅から北西へ約200m離れた「社宮司公園」前とした。
水道みち標識の立つ社宮司公園前をスタート。
    
すぐ帷子川にかかる水道橋を渡り、
その先の突当りは相鉄・JR線路で遮断されるので、手前の跨線橋
NO1出入口階段を上り線路の反対側に渡る。
   
NO2階段を下り、すぐ西横浜駅前信号で国道1号線東海道を横断し、反対側の水道道に入る。
真直ぐな水道道に「
水道道バス停。。
信号から約400mのところに、「
藤棚町信号変則約6交差点。
水道道は、直進して坂道を上る。
左折すると、「ふじだな1番街」商店街を通り「くらやみ坂」へ。
右折すると、「藤棚商店街」を通り「久保山墓地」へ。
ここでは、直進して水道道の坂道を上る。
     
野毛山配水地へ
水道道の坂は、現場は写真よりとても急に見えて、本当にここに水道管を敷設したのだろうか?と思うほど。
この藤棚町交差点から野毛山配水池までは、
上り下りを繰り返すらくだのこぶのようなところであったので、「らくだ坂」と呼ばれていたという。
上り切ってところに、「
峠の茶屋」。当時の峠に因んだ店名?
すぐ
下り坂で、急過ぎて恐い!
  
下ると、また上る
今度の
下りは、さらに急過ぎて下が見えない! でも乗用車がゆっくりと上ってきました。凄い!
今度は、
長い上り坂道
     
坂が急になり始めた左側に、「水道道と尻こすり坂案内板
尻こすり坂:野毛山のこのあたりの坂は、余りにも急勾配に荷車を引く人たちがお尻で車を押さえながら下っていったので
尻こすり坂と呼ばれるようになった。
上り切った突当り丁字路の、階段を上る。
    
正面に、「野毛山配水池門扉。しっかりと錠がかかっていて中には入れません。
何故入れない?
現行の耐震基準を満たしていないため、安全に配慮して立入できないよいにしてある、とのこと。
     
日本初の近代的水道を完成させたヘンリー・スペンサー・パーマ像
野毛山展望台から、
野毛山配水池、ランドマークタワー。
何故か、ランドマークタワーを見るとホッとするのは、横浜市民の証? 藤棚町信号へ戻る。
    
くらやみ坂へ
くらやみ坂:保土ヶ谷宿と戸部村の往来に使われた保土ヶ谷道の一部。
名前の由来については諸説あり、例えば
             ・この坂から入江の景観が素晴らしく、源頼朝も馬(鞍)を止めて眺めた、という「鞍止み」説。
             ・鬱蒼とした木々に覆われ暗がった、という「暗闇」説、など
      
藤棚町信号を左折し、「ふじだな1番街」商店街へ入る。
      
ふじだな1番街商店街入るとすぐ右側に、とてもおシャレな感じの「M CAFE」店
商店街中ほどの「花嫁わた」店角に「
願成寺 日限地蔵尊 参道入口案内板
    
角を右折すると、左側に日本最小フイルム映画館「シネマノヴェチェント
フィルム素材の作品は映写機で上映するという。懐かしい映画が見れそう。
その先右側の願成寺境内の参道階段脇に、「
願成寺地蔵尊}。
願成寺地蔵尊:1923年(大正12)の関東大震災で焼野原になった藤棚1丁目角に残された延命地蔵尊と、
戸部岩亀横町焼跡子育地蔵尊を願成寺に奉安し、古く江戸時代から願成寺にあった日限地蔵尊を加えたご3体を合祀している。
願成寺:寺伝では、天平年間(729~49)に行基がこの地を通りかかった時、
渇を覚え水を探していると渓谷より一匹の亀が出てきた。
路傍を掘ると清水が湧き出てきたので、これを飲用し渇を癒した。これよりこの周辺を法亀山と名づけ、草堂を創った。
この草堂が願成寺の始まり、とある。

      
商店街を出てローソンのすぐ先の分かれ道は右手の坂道を上る。
この長い坂道(保土ヶ谷道)が、「
くらやみ坂」。
頂上近くの伊勢崎もくせい公園前に、「
くらやみざか石碑
頂上から先の下り坂も「くらやみ坂」というのかどうかは、複数の地元の人たちも「わからない」ということで、ここで終り。
ここから再度「藤棚町交差点」に戻る。
    
久保山墓地へ
久保山墓地:1874年(明治7)に丘と谷戸の畑を崩して造成された、日本初の公営墓地。
面積約3万6千坪余の墓地に、約2万基の墓がある。
       
交差点を右折して、藤棚商店街へ入る。
      
藤棚商店街の中を通り、外れのセブンイレブン角の交差点を左折し、
信号丁字路を直進して大谷公園沿いに進み分かれ道は左手を進む。
    
その先の鳥茶屋手前の丁字路の左手高台に、794年(円暦13)創建の古刹円満寺
丁字路のすぐ先で「
鳥茶屋石柱の左側の細い道に入り、右に曲りフェンス沿いに進んで墓地に入る。
     
墓地の中はきれいに区画され整備されていて、暗いイメージはない。
途中、西区観光協会の「官修墓地入口」案内板。
戊申戦争で官軍側の長州藩や土佐藩の戦死者を葬った「官修墓地」には、先祖が官軍側でなかったので墓参は遠慮した。
日本人を差別するこの遺物を、わざわざ観光資源として取り上げる必要性はあるのだろうか。
墓地の西端から
坂道を上り、頂上近くにある「かるべ茶屋」に到着。
茶屋というので、熱いお茶でも出してくれる茶店だとばかり思っていたら、「墓所工事一切」の立看板。
ここでいう茶屋とは、そういう店のことのよう。知りませんでした。
道なりに頂上へ向かうと、「からす茶屋」、「桜屋」、「鈴木茶屋」と続き、墓地を出ると車道。
     
頂上付近には、明治時代の立派な古い墓が並ぶ中に、これぞ立派な「無縁供養塔」があった。(他にも小さな供養塔1基)
何かホッとするものがある。
眼下に見下ろす無数の墓の向こうに、
ランドマークタワー!。ふと墓からの解放感が・・・。
ここで終わり、駅へ。
           
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