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2019年10月20日 | |||||||
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相鉄本線「平沼橋駅」 所在地:横浜市西区平沼町3 | |||||||
開業:1931年(昭和6) 一日平均乗降客:約7,200人(2020年度)、約8,900人(2019年度) | |||||||
駅間距離:横浜駅から0.9km | |||||||
駅名由来:帷子川にかかる「平沼橋(現元平沼橋)」に由来する | |||||||
「平沼」の地名由来:1839年(天保10)頃に、この地を埋立て新田を開発した豪商7代目平沼久兵衛にちなむ。 | |||||||
駅舎リニューアル:相鉄デザインブランドアッププロジェクト第1号として、2017年に駅舎の内外装をリニューアル。 | |||||||
2019年10月8日訪れる、 | |||||||
駅の北東側に、幕末の横浜開港に合わせて突貫工事で造成された「横浜道」の古道が、 | |||||||
「県道13号線新横浜通り」沿いに残っているので、その古道を辿りながら歩き、 | |||||||
続いて → 浅間神社(旧東海道) → 横浜イングリッシュガーデン→ 平沼水天宮 → 石崎橋(現敷島橋。横浜道) | |||||||
を訪ねて駅周囲を一周した。 | |||||||
横浜道って、どんな道なんだろう。 | |||||||
歩行距離:駅~駅まで約4.2km | |||||||
横浜道:1859年(安政6)、横浜開港のため幕府は東海道と横浜村(横浜港)を結ぶ道を約3カ月の突貫工事で造った。 | |||||||
難工事で、完成したのは開港の1日前だったという。 | |||||||
経路は現在の環状1号線(旧東海道)浅間下交差点付近から分岐し、新田間橋、平沼橋(現元平沼橋)、石崎橋(現敷島橋)を架け、
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戸部坂、野毛山の切通しを開き、関内に架けた太田橋(現吉田橋)に至る、約3.6km(幅員約5.4m)であった。 | |||||||
この横浜道は、横浜港からの主要輸出品の生糸を八王子から運んだ道でもあったので、「絹街道」とも呼ばれていた。 | |||||||
平沼橋駅 | |||||||
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起点の横浜駅から0.9kmのところにある。 駅舎と改札口は相鉄・JR線跨線橋の上にあり、出入口は北口と南口の階段の2ヶ所。両口共にエレベーターあり。 |
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北口階段を下りすぐ右折して線路沿いを道なりに進み、 正面頭上の県道13号線新横浜通りに架かる(現)平沼橋架橋手前で突当る。 ここから左折して平沼橋(現元平沼橋)を渡るのが「横浜道」で、 右折するとの横浜道はフエンス前の「横浜道」案内板のところで線路のため消滅している。 ただし、線路の反対側のフエンス前にも「横浜道」案内板があり、ここからまた「横浜道」が続く。(この道は、後刻歩く) |
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横浜道の起点へ | |||||||
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突当りを左折して横浜道に入り、横浜道の起点となった環状1号線(旧東海道)浅間下交差点付近まで歩く。 左折するとすぐ、帷子川にかかる横浜道造成時に架けられた平沼橋(現元平沼橋。1997年に建替えられている。)を渡る。 帷子川:2002年(平成14) あざらしタマちゃんが出没して全国的に話題になった川。 帷子川は、元々は旭区若葉台付近を水源として途中鶴ヶ峰駅辺りから相鉄線と並行して流れ、 横浜港にそそぐ全長約17kmの河川。 蛇行の激しかった帷子川はたびたび氾濫を起こし、江戸時代に改修工事が行われたいう記録があるという。 その後も氾濫が起きていたが、1958年(昭和33)の台風22号による堤防決壊の大水害発生を契機に、 分水路を作るなどの本格的な改修工事を行って現在に至っている。 そのおかげで、タマちゃんでも住める優しい帷子川になったのかもしれない。 新横浜通り高架沿いに進み、すぐ先の交差点を左折し、すぐの丁字路を右折する。 |
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新横浜通りと合流する手前で左側の丁字路に入りすぐ右折する。 狭い真っ直ぐな横浜道。当時は直線的な道だったということから、何となく名残がありそう。 突当りの階段のところでで新田間川に出る。 当時は、ここに新田間橋(あらたまばし)が架けられていたが、橋もその先の横浜道も消滅している。 現在は、右手の新横浜通りに1927年(昭和2)に立替えられた(現)新田間橋がある。 橋名は、芝生新田(現在の浅間町)と岡野新田(現在の岡野)の新田の間を結ぶ橋であることから、 「新田間橋」と名付けられた。 (現)新田間橋は、橋を支える両側の土台が石造りのアーチ型で、川の流れを3つに分ける特徴ある橋桁構造になっている。 |
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迂回して現新田間橋を渡って新横浜通りを進み、約100m先で右斜めに入る道が消滅した横浜道の続きで、 再度横浜道を進み突当りを左折して約50m先で浅間下交差点付近の環状1号線(旧東海道)に出る。 この出たところが、横浜道の旧東海道からの分岐点で、起点になったところ。 右側歩道に、「よこはま道」巨大案内板。 この案内板にも、「(旧)東海道の芝生村(現在の浅間町のこの地点)」が起点であることが、記されている。 なお、旧東海道はこの地点から右折して環状1号線の反対側の細い道に入る。 |
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旧東海道と浅間神社 | |||||||
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環状1号線の浅間下交差点を右折して新横浜通りを進み、 すぐ先の左側「花いちもんめ」店角を左折したところの細い道が、天王町駅まで続く旧東海道。 花に飾られたしっとりした情感を感じさせる道。 その先の右側に、横穴古墳が密集する袖すり山と呼ばれる丘の上にたつ浅間神社。 浅間神社と町名:1080年(承暦4)に、源頼朝が富士浅間神社から勧請して造営されたと伝えられている。 当時「芝生(しぼう)」村の鎮守であったが、1901年(明治34)に横浜市に編入の際、 「しぼう」は死亡に通じて縁起が悪いということでこの神社名にちなみ「浅間(せんげん)」町と改名された。 |
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横浜イングリッシュガーデンへ | |||||||
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旧東海道を進み2つ目の丁字路を左折し、その先の浅間町郵便局前信号で環状1号線を横断する。 | |||||||
新田間川に架かる岡野橋を渡り、続いて岡野信号を進んだ右手に花壇のある岡野公園。 | |||||||
岡野公園に立つ案内板(要約):「ここ岡野地区は、当時戸部村と保土ヶ谷宿の入江の景勝地であったが、 | |||||||
帷子川からの土砂で年々浅くなってしまった。 | |||||||
1833年(天保4)、保土ヶ谷宿の金物商人岡野勘四郎良親が開墾しその子勘四郎良哉が耕地を開き塩田としたことで、 | |||||||
1873年(明治6)に名前を冠して岡野町となった。 | |||||||
その後、岡野家の子孫たちがまちづくりに尽力し、住宅が立地する街に変わっていった。 | |||||||
ちなみにこの岡野公園は、岡野子孫が誘致した神奈川県農事試験場跡。」 | |||||||
次に平沼高校前信号を直進して帷子川にかかる平岡橋手前で右折し、左岸に東京ガスの球形タンクを見て帷子川沿いを進む。 | |||||||
左折して沼野橋を渡り、すぐ右手に「プラザ横浜、横浜イングリッシュガーデン」看板の立つ入口から中に入る。 |
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約80軒のモデルハウスが並ぶtvkハウジングプラザ横浜前を通り、 | |||||||
奥の突当りに、横浜イングリッシュガーデン(入口と庭)。 | |||||||
横浜イングリッシュガーデン:1,300品種、1,800本以上のバラを中心に、 横浜の気候風土にあった草花や樹木を散りばめて、自然の風景を何年もかけて育てているガーデン。 特にバラは香り高い四季咲きの種類をふんだんに使い、春から秋までバラを楽しむことができる。 料金:大人 700円 子供(小、中学生 300円) 休館日:年末年始 ガーデン内には、「コピスガーデンカフエ」店がある。 |
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平沼水天宮、南側の横浜道へ | |||||||
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線路沿いに進んで跨線橋を渡り線路の反対側に出て左折し、線路沿いに進んで平沼橋駅の方向へ向かう。 |
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左手前方に、東京ガスの巨大球形タンク群。先ほど帷子川から見たときより、凄い威圧感を感じる。 | |||||||
平沼橋駅南口出口階段脇を通り右側に、水天宮平沼神社。 | |||||||
水天宮平沼神社:1839年(天保10)、平沼家5代目当主久兵衛が、 平沼家が数代にわたり埋立を続けた新田の守り神として祀ったのが始まり。 |
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平沼橋駅南口階段脇を通る。 |
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線路沿いに進み新横浜通り(現)平沼橋架橋手前の左側フエンス前に、「横浜道」案内板。 ここから、線路の反対側の先ほど渡った平沼橋(現元平沼橋)に続いていた。 |
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フエンスを背にして、平沼商店街の横浜道に入る。 | |||||||
三菱重工があった当時はとても賑わったという商店街も、今は少し寂しく感じる。 | |||||||
京急本線架橋下を潜って車道を横断し、再度平沼橋商店街に入る。 | |||||||
右側に、創業明治33年「寿ゞ喜家」菓子店、 | |||||||
続いて1920年(大正9)からこの地に店を構えているという老舗蕎麦屋「田中屋」。 | |||||||
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旅と旅行と | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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