2020年1月18日
              一駅読み切り
(神奈川県)相模鉄道沿線・半径1kmの駅
    
                相鉄本線和田町駅」  所在地:横浜市保土ヶ谷区仏向町
開業:1930年(昭和5)  一日平均乗降客::約12,900人(2020年度)、約18,000人(2019年度) 
                駅間距離:星川駅から1km
   
駅名由来
開業当初は、保土ヶ谷区の実業家、岡野欣之介の別荘「常盤園」の名をとって「常盤園下」という駅名であった。
その後、1952年(昭和27)に「和田町」と改名された。
ただ、「和田」という町名はあるが「和田町」という町名は存在せず、駅舎のあるところは「仏向町」。 
   
この駅は、2020年1月3日に訪ねた。
ここでは、何といっても横浜国大、当初の駅名にもなった前身が常盤園の「市立常盤公園」、
そして「和田町」駅名のいわれとなったという「和田稲荷神社」を訪ねた。
 経路
和田町駅北口→和田稲荷神社→市立常盤公園→横浜国大→大池道路→和田町駅南口
歩行距離:(常盤公園内、横浜国大キャンバス内を含めて) 約4km
    
市立常盤公園:面積約49,200
 明治末期、横浜市域の発展によって人口が急増し公園施設の不足が問題となっていた。
 この時、保土ヶ谷区の富豪であった岡野欣之介が自らの資産を投じて常盤台一帯に所有していた別荘を造成し、
「常盤園」として 1914年(大正3)に一般公開した。
現在の「常盤公園」は、横浜市が常盤園の 入口付近の一部(約6分の1)を購入して整備し、1942年(昭和17)に開園したもの。
今でも、緑多いスポーツと憩いの場として親しまれている。
主な施設:サッカー場(有料)、テニスコート(有料)、弓道場(有料)、広場、児童遊具施設、トイレ、駐車場。
   
和田町駅
駅舎改札口は跨線橋上にあり、出口は北口と南口の2ヵ所。     
   
北口を出てすぐ左折し、帷子川にかかる和田橋を渡り「和田町商店街アーチを潜って商店街に入り、
約150m先の
商店街外れで国道16号線「和田町駅入口」信号に出る。  
             
 常盤公園へ
「和田町駅入口」信号で国道16号線を横断して右折してすぐ横浜銀行角を左折し、小路を延々と進み、突当りの狭い階段を上る。
     
階段上り口左側に、「満願地蔵尊」
  満願地蔵尊:この地蔵尊は、元和田町駅裏手の台地にあったもの。
その台地には昔浅間宝寺という寺があったが平家の残党を隠したというので焼き討ちにあい、焼け跡から沢山の遺骨が出てきた
 亡きその霊を慰めるため、真福寺を建てた田口重勝の弟の重信が地蔵堂を建立して祀った。
明治初年星川小学校校舎を建てるのに支障をきたし、この真福寺山門のそばに移されてきた。 
 長い階段の途中に、小さな「和田稲荷神社」の小さな社。
和田稲荷神社: この地の「和田」の地名の由来ともなっているという。
 1185年(文仁元)に建立された稲荷神社が始まりで、
1193年(建久4)に源頼朝がこの地に鷹狩に訪れたときにこの神社を参拝し、
 縁のある鎌倉武将和田義盛にちなんで「和田」稲荷神社と名付けた。
その後、この和田神社が元になってこの辺りを「和田」と呼ばれるようになった。 
   
さらに階段と坂道を上り続け、約200m上り切ったところで車道に出て、左折した正面が「常盤公園」。
      
公園に入ると木立の道が続く。
入ってすぐ左側のミニ休憩・トイレ建物脇の階段を上がると、
明るい広場には児童遊戯施設、そして眼下には和田の町並み。
    
広場の右手下には立派な観客席を有するサッカー場
広場の先を下ると、ゴロリと日向ぼっこできそうな
広い草むら常盤公園弓道場
    
       
先ほどの 公園入口の木立の道を進み突き当りの公園の北東端からUターンすると、
    無料開放運動広場、続いてテニスコート2面とコート裏に何故かポツンと観客席(?)のベンチとテーブ一式
     
       
正門へ戻り、左折して公園沿いの坂道を下り「ファミリーマート」角の交差点を直進すると、
右側に横浜国大南通用門サウスゲイト)。ここからキャンバスに入り案内板を頼りに正門(メインゲート)に行く。
      
横浜国立大学正門メインゲート)」
横浜国立大学:86校(2019年現在)ある国立大学のうち、唯一校名に「国立」を冠している大学。
1949年(昭和24)に、神奈川師範学校、神奈川青年師範学校、横浜経済専門学校、横浜工業専門学校の
4つの旧制官立学校を統合して誕生した大学。
当初予定していた大学名は「横浜大学」であったが、同時期に「横浜大学」を希望していた大学が他に2校あり、
話合いの結果、「横浜国立大学」、「横浜市立大学」、「神奈川大学」という名称にすることになった。
       キャンバスは、当初は統合前の4つの学校に散在していたが、
程ヶ谷ゴルフ場跡地を購入して1979年(昭和54)に現在の常盤台キャンバスへ移転統合した。 
 正門から、キャンバスの中央通りを通り西門(ウエストゲート)へ向かう。
キャンバスはとても緑が多い。そして美しい木立の道。道端に「横浜国立大学の緑」案内板。
横浜国立大学の緑 」案内板から:
人間が緑と共生する環境保全林を作るため「ふるさとの木によるふるさとの森づくり」思想に基づき、
 常盤台キャンバスには南関東に固有な常緑広葉樹が計画的に植樹されえいます。
 照葉樹とも呼ばれるシラカシ、アラカシ、アカガシ、タブノキ、クスノキ、スタジイなどです。
落ち葉と枯れ枝を森に戻し土を育む、景観と環境の両立が図られています。 
(中略) 
 常盤台キャンバスに移転した昭和54年以来、教職員と学生の寄付と作業により苗木が植えられ、
 移転以前の樹木と相俟って現在の森を形成しています。
 環境保全林は緑地機能により人々の環境を安全に保つ林であり、次のような機能を持っています。
・精神的機能(やすらぎ、休養)・物理的機能(暴風、砂防、防臭、火災延焼防止)
・生物的機能
(集塵、大気浄化、二酸化炭素吸収、酸素供給)
 西門を出てまっすぐ進む。
   
常盤台コミュニティハウス脇を通り、突当りのファミリーマート前の丁字路を左折し、ゆるい大池道路の坂道を上る。
「大池」といっても周囲は住宅街で全く池の気配がない。
「大池」の由来 :以前、この辺一帯に19,800㎡におよぶ「三ツ沢池」と呼ばれる巨大な灌漑用溜池があり、
地元の人がこの池を「大池」と呼んだことからきている。
大池の周囲には桜の木が植えられ、桜の名所として親しまれ貸しボートもあったという。
しかし1964年(昭和39)に始まった東京と横浜を結ぶ第三京浜道路建設で、
保土ヶ谷インターチェンジ建設で発生した残土受け入れ先として埋め立てられその姿を消してしまった。
その時の名残で、「大池」の名前がある。

大池道路は下り坂となり、「常盤台小学校入口」信号を直進して
急坂を延々と下る。
     
 下りきったところの信号から右折して国道16号線と合流し、宮崎橋入口信号から左折して細い道に入り、
帷子川にかかる
宮崎橋を渡り突当りを左折する。
    
すぐ先で相鉄本線横断の地下道に入って反対側に出て、陸橋沿いに進み、
突当りのローソン前の正福院信号丁字路を左折して
水道道に入り道なりに進む。
    
 






 
                        
約400m先のスーパー「キタムラ 」角を左折し、和田町駅の北口と隣合せの南口に戻る。
     
 ここで終わり
    
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