2020年11月1日
               一駅読み切り
(神奈川県)相模鉄道沿線・半径1kmの駅
    
             相鉄本線大和駅」  所在地:大和市中央2丁目・東1丁目
開業:1926年(大正15) 一日平均乗降客: 約87,800人(2020年度)、約115,900人(2019年年度)  
               駅間距離:瀬谷駅から 約1.9km   起点横浜駅から 約17.4km
  
 駅名由来
地名に由来。
「大和」という地名は、1889年(明治22)に市制・町村制が施行されたさい、
下鶴間村、深見村、上草柳村、下草柳村と上和田村の飛び地が合併し、「鶴見村」が誕生した。
しかしこの村名は村の間で対立し、分村騒動まで発展した。
1891年県が調停に入り、「大きく和する」という意味の4村とは関係のない「大和村」と改称したことによる。
  
この駅には、2020年9月に訪れた。
駅 舎
駅ビルは小田急江ノ島線大和駅と共用で、相鉄本線大和駅は地下駅、小田急大和駅は高架駅となっている。
相鉄本線大和駅は開業以来地上駅であったが、高度経済成長時代に入り踏切の交通渋滞が問題となり、
1993年(平成5)問題解消のため相鉄本線駅を中心とした1090mの線路区間の地下化が行われ、駅も地下駅となった。
ここでは、駅の東西にあるプロムナードを歩き、深見神社、そしてふれあいの森を訪ねた。
経路
大和駅北口→ (東)プロムナード、シリウス→ 深見神社→ 深見小学校南側通り→ 国道467号線
大和駅 ←(西)プロムナード ←ふれあいの森 ←一般道 ←
歩行距離:ふれあいの森の中を含め約6km。
   
プロムナード(歩行者専用道路)
線路の地下化で廃線になった地上部分を整備して、美しい景観の歩行者専用道路としたもので、市民の憩いの場となっている。
大和市文化創造拠点「シリウス」 (地上6階 地下1階 )
「文化創造拠点が未来にわたって光り輝き、市民に愛される施設となるように」、という想いを込めて名付けられた。
芸術文化ホール、ギャラリー、市民交流フロアー、室内子供広場、各種図書館、生涯学習センター などがある。
深見神社
「深見」は地名で、鹿島社の別称は当時領主であった坂本氏が茨城県鹿島神宮の祭神を勧請したため。
創建は雄略天皇22年(478)と言われ、延長5年(927)に完成した「延喜式」神名帳に記載されている延喜式内社。
現在の社殿は、昭和17年に再建されたもの。
ふれあいの森
水と緑と花をテーマーに整備された公園
ふれあい広場、緑の見本園、台湾亭四阿、引地川、親水広場などがある。
    
深見神社へ
相鉄本線大和駅北口
反対側の南口へは、北口の
小田急改札口を通り次の改札口から出る。
北口を出て右折し、大和駅ビルPROSSの外れにある
モニュメントから始まる真っすぐな東側プロムナード。
プロムナードは、相鉄線の地上線路があった跡で、現在はプロムナードの地下に線路が走っている。   
      
(東側)プロムナード
約200m先で「大和駅東」信号を横断し大和市文化創造拠点「シリウス」のガラス張りビルの前を通り、
国道467号線を横断してハッとするきれいに整備された並木の
プロムナードを進む。
並木道を約150m進んだところがプロムナードの
終点
           
終点の先で、相鉄線の線路が地上に顔を出す。
線路の
右手の道を進み、踏切の交差点角に「深見神社立看板
   
深見神社
深見神社立看板から右折して細い道を進み、鳥居をくぐる。
鳥居の左側に、寛政3年(1791)建立の「深見神社社号標石碑
正面には、「相模国十三座之内深見神社」と刻まれている。
                                         
境内沿いに進み外れの交差点の左側にある次の鳥居を潜ると、左側に深見神社社殿
                                 
大和市指定天然記念物「ハルニレ
境内に、樹齢500年、高さ43m、幹回り4mの御神木「ハルニレ」
ハルニレはブナ帯の木で高地に多く見られ、深見のように低地では珍しい木で、何といいう名の木かわからなかったので、
「なんじゃもんじゃの木」と呼ばれるようになったという。
    
ふれあいの森へ
鳥居を出て左折して深見小学校境界塀沿いに進み、車道に出て右折し、小学校沿いのゆるい坂道を上る。
    
「深見歩道橋」信号交差点を右折し、国道467号線を進み、シリウスの東側を通りその先の深見台信号交差点を左折する。
    
ゆるい下り坂の一般道を進み、約400m先で相鉄本線ガード下を潜り、商店街を通る。
    
道なりに進んで草柳小学校前を通り、「草柳コミュニセンター前」信号のすぐ先で、車道から分れ右手の細い坂道を下る。
    
坂を下り切ったところが「ふれあいの森」。
右折するとA「緑の見本園」と「熊野神社」へ。正面B「ふれあい広場」と「引地川散策路」へ。
左折すると相鉄本線ガード下を潜りC「親水広場」へ。
   
A緑の見本園と熊野神社へ
緑の見本園
緑の見本園:四季折々の花や樹木を楽しめるよう、花壇や花木・野草類などが見本展示されている。
突当りを右折するとすぐ右側に、入園無料の緑の見本園入口。園内は緑の散策道がきれに整備されている。
     
奥に、バラ園への階段バラ園と咲き乱れるバラ
  
熊野神社
熊野神社:草柳村の総鎮守。須佐之男命をはじめ4神を祀っている。
創建不詳であるが、慶長年間(1596~1615)には存在していた。現在の社殿は、昭和53年(1978)に再建されたもの。
車道に戻って道なりに進み、左にカーブする右側に鳥居と参道階段を上ったところに熊野神社
     
B:ふれあい広場と引地川へ
ふれあい広場
元へ戻り、公園正面から広場へ。原始林?のようなところも。
   
広場の入口は、お花畑。バラ コスモスバラ
   
広場長ーいすべり台休憩所はあちらこちらに気の向くままに。
   
引地川
引地川:大和市上草柳の泉の森を水源とし、、藤沢市を南下して相模湾に注ぐ、河川延長約21kmの二級河川。
河川名の由来の1つは、台地からの出口に当たる藤沢市稲荷付近で、砂丘を断ち切って河道を付け替えたことによるという説。
元に戻り、引地川へ進む。
  
突当りで引地川に出て右折し、源流のある草柳の「泉の森」へ向かって引地川沿いに歩く。
ふれあい橋が工事中で対岸に渡れず。ここでは小川のような引地川の散策路を歩き、上草柳4号橋にたどり着く。
4号橋を渡ったところに、龍宮城の門のような形状の朱色の台湾亭
台湾亭:第二次世界大戦中、将来の航空技師を夢見て台湾少年工8,400名が高座海軍工廠で戦闘機「雷電」の製作に従事した。
工廠は現在の座間市栗原にあり、寄宿舎は大和市上草柳にあった。
敗戦により夢破れて帰国した少年工は、その高い技術と精神力により台湾工業化の中核として活躍、
1993年6月、彼らが「第2の故郷」と呼ぶ大和市を50年ぶりに訪れた。
この台湾亭は、その時台湾少年工の同窓組織である台湾高座会が日台の友好親善と世界平和を祈念し、大和市へ寄贈したもの。

    
上草柳4号橋から、引地川上流を望む。
元へ戻り、引き続き引地川沿いに歩き、引地川は東名高速高架下のところで暗渠になり、歩道もトンネルとなる。
トンネルを越えると「泉の森」。ここまで。
    
C:親水広場へ
親水広場:水と親しんでもらえるよう、池や小川、滝などがある広場。
C左折し、トンネルを潜って親水広場へ入る。
   
真っすぐな道、すぐ左側にハープ段々花壇。今が誇りのハープ
   
その先右側にゆったりとした。道なりに進んで左手の坂道をお花畑を眺めながら上り、
右にカーブしてお花畑の上の坂道を進む。
   
車道に出て相鉄本線沿いに進み、線路が地下化したとこの「ふれあいの森入口」信号交差点を横断し、
当時の線路跡のきれいな並木の西側プロムナードに入る。
    
豊富な地下水を生かした流水川、ふんだんに降り注ぐ地下水のモニュメントの間を通り、
「大和駅西入口」信号を横断し真っすぐ続くプロムナード。
正面の白いビルが、相鉄と小田急の入っている大和駅
       
  各 駅 停 車 
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相 鉄 本 線
  
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