2020年3月7日
              一駅読み切り
(神奈川県)相模鉄道沿線・半径1kmの駅
    
                    相鉄本線鶴ヶ峰駅」   所在地:横浜市旭区鶴ヶ峰2丁目 
開業:1930年(昭和5) 一日平均乗降客: 約45,300人(2020年度)、約57,100人(2019年度)
               駅間距離:上星川駅から 約1. 6km
  
 駅名由来
地名に由来。
鶴ヶ峰の地名の由来の1つに、
昔、帷子川のこの辺りに広い田畑があり、多数の鶴が飛来して生息をしていて、
現在の国道16号線付近の高い峰に休息し、餌をあさって田んぼに舞い降りてきた。
このように鶴が舞った田んぼを「鶴舞い田」といい、鶴が峰に休息していたことから「鶴ヶ峰」となった、という。
      
 この駅には、2020年2月28日に訪れた。
鶴ヶ峰は、鎌倉時代初期の武将畠山重忠の終焉地で、駅周辺には重忠の史跡が多くあり、ここを訪ねた。
経路
駅南口→鎧の渡し緑道→首洗い井戸・鎧の渡し→畠山重忠古戦場跡・さかさや竹→矢畑・越し巻き→六ツ塚→駕籠塚→駅北口
歩行距離: 約2. 5km
   
畠山重忠:1164年(長寛2)武藏国男衾郡畠山郷(現埼玉県深谷市畠山)に生まれ、
1180年(治承4)源頼朝が平家打倒で挙兵したとき参加した。以降頼朝の配下として数々の武功をあげ名声を轟かした。
源平合戦の一の谷合戦では、重忠は愛馬を背負って崖を下り平家軍を急襲したエピソードは、有名。
頼朝の信任は絶大であったが、頼朝の死後鎌倉幕府の実権を握った北条時政は、1205年(元久2)に重忠征討の下命した。
この時重忠は時政の策略とは知らず「至急参上せよ」との報せで、
武蔵国の館からわずか134騎の手勢だけで鎌倉へ向かっていた。
その途上二俣川・鶴ヶ峰で、子の重保が殺害されさらに時政軍が3万の大軍で重忠を追討していることを知る。
ここで重忠は「館に戻って軍勢を整えることはかねてから謀反を企ていたと思われる」と、鶴ヶ峰で大軍を迎え撃った。
しかし多勢に無勢、4時間に及ぶ死闘の末敵方の愛甲季隆の矢に射抜かれ戦死。1206年(元久2)6月22日。享年42才。
重忠の従者134名も全員討死。
    
鶴ヶ峰駅
      線路上の高架駅。入口は線路を挟んで左手に北口、右手に南口
   
南口からすぐ水道道に出て右折し相鉄線踏切を渡り、商店街の中を進み、
「チケット大黒屋」手前で左折し「鎧の渡し緑道」に入る。
      
鎧の渡し緑道
鎧の渡し緑道:この緑道は、旧二俣川(帷子川は明治の初めころまでは西谷より上流は二俣川と呼ばれていた)の跡で、
平成18年に「鎧の渡し緑道」として整備された。
この辺りは、「鎌倉街道中道」の二俣川を渡る場所であったが、橋はなかった。、
当時は川幅も広くまた深いところであったため、武士は鎧を頭上にかざして越えていたことから、「鎧の渡し」の名がついた。
階段を下りて緑道を進み、突き当りを道なりに右にカーブしてさらに緑道を進む。
   
鎧の渡し碑と首洗い井戸碑  首塚
突当りの旭区役所境界柵のところに「鎧の渡しと「首洗い井戸
首洗い井戸:愛甲季隆の弓に射られた重忠の首をこの辺りの井戸で洗い清め、鎌倉へ持って行ったと伝えられるところ。
突当りを右折し、
ゆるい坂道を上り、すぐ先の途中右側の少し高くなったところに、首塚。
首塚:重忠の首は鎌倉へ持ち去られているので、ここに重忠の首が埋葬されていないため、兜塚や鎧塚と呼ばれる。
塚の上の地蔵堂脇に
七重の供養塔が建てられている。
           
畠山重忠公碑とさかさ矢竹
坂道を道なりに上って「鶴ヶ峰駅入口信号交差点に出て県道40号線を横断して水道道に入る。
横断した角地に、重忠没750年を祈念して1955年(昭和30)に建立された「
畠山重忠公」碑と「さかさ矢竹」。
さかさ矢竹:重忠が矢に当たった時に、重忠は謀反でないことを後世に示すべく、
「我が心が正しければこの矢にて枝葉を生じ繁茂せよ」と言い、二本の矢を地に突き刺した。
やがて、この地に根付き毎年2本づつ生え茂り続けて「さかさ矢竹」と呼ばれるようになった、という。
現在の矢竹は、その後消滅していたものを没後800年を記念して再度植えられたもの。
      
矢畑・越し巻き
水道道を進みセブンイレブンの先の信号のところで左折し、フェンスのところに「矢畑・越し巻き
矢畑・越し巻き:大勢の北条軍から射られた矢が辺り一面に落下し、
矢の畑のようになったり、身の周辺を腰巻のように矢が取り囲んだ、、という状況を表現している、とのこと。
重忠は、ここで戦死したとも言われる。
     
(六ッ塚へ行くために今来た道を引き返す)
セブンイレブンの手前で左折して細い道に入り、突き当りの「薬王寺入口信号を右折し、すぐ先の分かれ道は左手を進む。
     
約50m先の「鶴ヶ峰本町町内会」掲示板のところから左折し、ゆるい坂道を上り、
右側の薬王寺境内に「重忠公戦死之地石碑と「六ッ塚案内板
六ッ塚:戦死した重忠と従者134騎を6ヵ所に葬ったという塚(土饅頭)が、伝えられている。
    
(駕籠塚を訪ねるため) 先ほどの掲示板のところに戻って道なりに進み、約200m先の分かれ道は左手を進み、
駕籠塚案内標識の立つところで左折する。
   
駕籠塚
鶴ヶ峰浄水場脇の坂道を上り、「史跡 駕籠塚石碑の脇から入り、正面奥に駕籠塚墓所。
駕籠塚:「重忠の内室「菊の前」が、合戦の報せを聞いて急ぎ駆け付けたが、、ここで重忠の戦死を聞いて自害した。
自害したところに駕籠のまま埋葬されたため、駕籠塚と呼ばれている。
    
鶴ヶ峰駅北口に戻る
今来た坂道を下り、「駕籠塚」案内標識のところで左折し、坂道を上り、
鶴ヶ峰本町第二公園の外れで右斜めのバリケードに入る。
     
急階段を下り、途中の踊場で右折し、さらに急な階段を下りる。
   
鶴ヶ峰バスターミナル信号で国道16号線を横断して、反対側の陸橋を渡り、バスターミナルに出て細い道に入る。
     
突当りを左折、右折して「SEUYU」前を通り、次の突当りで行くときに通った水道道に出て左折する。
その先の踏切の手前で左折し、突当りの鶴ヶ峰駅北口に到着。
   
  各 駅 停 車 
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相 鉄 本 線
  
  い ず み 野 線
     
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